冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】自分との闘い

いつも思うのだが、エアロって、

自分との闘いなのだ。

コーチの振り付けを見て踊るものの、

どんどん振り付けが変化してしまう。

「次はこうしましょう。ああしましょう」

の嵐で、頭がフル回転なのだ。

 

そこで、「うーん、むずいー!」

となるのですが、そこを乗り越えると、

「やったー、できたやんかー!」

となるのだ。

これ、たまんない。

それもひと月以上ぶりのエアロで、

振り付けバッチリ覚えたのだから、

自分で自分をほめてあげたい(BY 有森裕子さん)

っていうもんだ。

 

そんな感じでエアロをすませると、そのあとは、

時々、プールに入ってひと泳ぎする。

初心者用の20mプールを往復していき、

気が済むまで泳ぎまくる。

いつものフリースタイル。

どのくらい泳ぐのか、全くのフリー。

目標もなければ、何往復したのかすら数えない。

とにかく、疲れて終了したくなったら、終わり。

それだけだ。

ただひたすら、心を無にして水に入るのだ。

そして、一旦泳ぎ始めたら、ブラックな私が顔をのぞかせる。

 

「くっそー、なんで私ばっか、介護してんだよー」

「くっそー、なんで私ばっか、ワンオペ育児なんだよー」

「くっそー、なんで私ばっか、介護に育児に、人のお世話に明け暮れてるんだよー」

「くっそー、くっそー、くっっっそーーーーーー!!!」

 

声に出して言うわけではない。

あくまでも心の声。

とはいえ、かなりのテンションで、

力を込めて叫びまくる。

そうして、怒りが多い時ほど、よく泳ぐ。

気が付いたら、結構な時間が経っている。

 

距離は測っていないが、時間はなんとなく予測が付く。

そこからざっと見積もって、よく泳いだなと思ったりする。

特に怒りがある時は、それを発散させるためによく泳ぐ。

ある意味、健康に貢献しているのかもしれないな。

 

でも今日思ったのは、

一週間の実家のお世話で疲労困憊していた私の体は、

ジムのエアロとプールで、

なんだかほぐれたようなのだ。

最初は、疲れているから、ジム休んで昼寝でもしておこうかと

思っていたのだが。

なんとなく会費がもったいないと思ったもので、

ちょっと行ってみようと思っていったまでなのだが。

結果的に体が上手にほぐれて、

少し体が軽くなったように思う。

やはり、運動って、健康にいい。

今日は本当に実感した。

 

そして今日は、

いつもの一人ジムのはずが、

「○○さん(私の苗字)」と呼び止められて、

二回りくらい年上のおばちゃんとおしゃべりをしてしまった。

 

「夏休みだったん?」

と聞かれたので、

「そうなんですよねー」

と答えて、実家の両親のコロナり患と後遺症のことを話し、

ひととおり楽しくお喋りさせてもらった。

ほぼ、私の話題だけだったのだが、

楽しく聞いてもらって、うれしかった。

年上の方といると、なんだか肩の力が抜けて、

のんびりお喋りできる気がする。

それは、かまってもらっている、

という、ちょっとうれしいことなのだ。

だから今日の私はなんとなく、

年下気分に浸れたのだ。

それもまた悪くない。

 

でも、基本的には一人ジム。

だれかと一緒にいなければならないという、

気分的な縛りはないの。

雨が降ったらお休みして。

暑くなったらプール目当てに行って。

気がのらない時は、エアロだけして、

あとはウインドウショッピングして。

本当に自由気ままなジム生活なのだ。

 

でも、たまにはね。

こうして話しかけてくれた人がいる時には、

少しだけおしゃべりして、

その時間を楽しむ。

なにごとも、寛容さは必要なのだ。

一人ジム、だけど、一人にこだわりすぎない。

なぜなら、一人ジム、が目的なのではなくて、

楽しくジムをする、が目的なのだから。

 

素敵でなくてもいい。

格好良くなくてもいい。

人に自慢できなくてもいい。

一人ジムってさみしそう、って思われてもいい。

 

だって。

自由気ままな一人ジムが、好きなんだから。

人生は一度きり。

だったら、なにごとも、しない手はないよ。

気になることは、とにかく、手を出して。

間違ってたら、手を引っ込めればいい。

それだけなんだなと思う今日この頃。

楽しんでいきましょう。

 

大切なのは、私の気持ち。

これからも、自分との闘いは続いていくのだ。