冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ブログ】過去のブログ

ブログを始めて、2年程が過ぎた。

今までは、現在の気持ちを書き綴ることばかりで、

ブログとは、「書くこと」と思っていたのだが。

最近は、ちょっと違う。

書くことと同時に、過去の記事を「読むこと」もまた、

ブログの楽しみ方なのだなと思う。

 

ずっと何十年も、紙の日記を書いてきた。

シャーペンで文字を書くのが苦手なのに、

ずっとずっと続けてきた。

でも毎回、どうしても、面倒になってきて、

思っている気持ちを要約して書いているのだ。

その方が楽だし、ページ数にも限りがあるから。

 

ところがブログは違う。

いくらでも書ける。

なんなら、私の入院ネタなんて、

数回の連載にしてブログ化している。

こんなん、だれが読むねん?

とは思うのだが、

キーボードだと速く打てるし、

文字数も結構な量を許容してもらえるのだ。

 

そうして書いてきた過去のブログを読み返すと、

当時の自分がよみがえってくる。

「ああ、この時、大変だったんだよな」とか、

「ああ、こんなこと、考えていたな」とか。

過去の自分が今の自分に教えてくれる。

「よく、頑張っていたよ」と。

 

大人になると誰もが、

ほめてもらうことなどなくなる。

よほどのことがない限り、

怒られる方が多い。

スーパーで買い物しているだけで、

「邪魔だよ!」というリアクションを取られたり。

幼児だったら、

「あら、かわいいねえ~」になるのにね。

 

ブログに煮詰まると、しょうもないことも書きたくなる。

2千字埋める目標もほっておいて、

200、300文字でも全然OKとばかりに、

好き勝手を書く連ねる。

でもこれが楽しい。

自由気まま、最高!なのだ。

 

何年経ったら、数十人、数百人の人が見てくれるのか。

トホホな気持ちは、むくわれるのか。

それでもひたすら、キーボードに打ちまくる。

自分の気持ちをぶつけまくる。

誰にも伝わらなくてもきっと、

未来の自分が見てくれる。

 

「こんな、しょーもな記事、誰が読むねん?」

っていう記事も、

笑って読んでくれる未来の自分がいるはずだ。

大して面白くなくてもいい。

大事なのは「私が書いた」という事実。

どこかの大物ではなくて、しょうもない私が書いたという事なのだ。

 

忙しい時は、ネタはたくさん。

でも書く時間も気力もない。

暇な時は、各時間はいっぱい。

でも書くネタが浮かばない。

 

それはまるで、お金のよう。

忙しい時は、お金がたくさん。

でも使う時間がない。

暇な時は、お金を使う時間が一杯。

でも肝心のお金がない。

そんなもんだな。

 

いつか「ブログやっていて良かった」

という日が来るのだろうか。

それはいつなのだろうか。

永遠に来ないのだろうか。

まあ、それでもいっか。

 

「好きこそものの上手なれ」

信じてみるとするか。