先日は、小5と小3の二人娘の始業式だった。
長期休暇を終え、朝7時半には小学校に登校し、
そこから私の一人時間が始まる。
ひさしぶりの学校に、
次女は「夏休み終わってほしくない」だの、
長女は「早く学校いきたい」だの、
色々言っていたが、
私はと言えばやはり、
「小学校の始業式万歳、給食万歳!
これで一日三食作る手間から解放されるー!」
といった感じで、大いに喜んでいる。
というわけで今日から自由時間が出来たので、
スポーツジムの再開。
一人でのんびりジムをして、その後読書をして、
それから家でテレビを観ながらのんびり過ごす、
至福の時。
6月の初旬に肩を怪我し、中旬には入院までして、
退院してからも7月は体の調子を見ながら、
無理のない生活をゆっくりとして、
大分からだが回復した8月は夏休み真っ最中で、
行きつく暇もなかった。
ようやく訪れた一人時間のある日常に、
どうしたってテンションは上がる。
始業式は金曜日で、ジムのスタジオレッスンは「中級クラスのエアロ」。
なかなか難しく、出来れば避けたいという思いもあった。
しかし久しぶりの自由時間にジムに行きたい気持ちの方が勝ち、
結果として中級に参加することとした。
最初の体をならす動きでさえ、
右手のだるさを感じ、
また腰の重さを感じ、
「これが、体がなまっている、というやつか」
と少々不安に思いながらも、
体を動かしていった。
どうしても痛くなったら、
途中でリタイヤするのもあり、
と自分で自分に逃げ道を作っておいて、
少しずつ体を慣らすようにして、動きを追っていった。
すると次第に昔の感が戻って来たらしく、
徐々にではあるものの、体が付いてくるようになった。
そして体がなまったことは悪い事ばかりではなく、
いろいろな発見もあった。
それは、体が動きにくいと、
それをカバーしようとして、ものすごく集中力がつくということ。
昔はいくらでも体が動かせたので、
とにかくコーチの動きについていき、
がんがん体を動かすことに神経を使っていた。
でも体がなまって動きにくいので、
あまり無理して体を動かさないように、
コーチの動きを覚えることに神経を使うようになった。
覚えることで、動きを最小限にし、
「無駄のない動き」にしようとしたのだ。
これはわりと功を奏し、
徐々に昔のように覚えて体を動かせるようになっていった。
「最小限の動きで表現する」とでもいうのか。
昔とは違った考えを取り入れるようになった。
もうひとつ良かったなと思ったのは、
「3か月ぶりなので、間違えても仕方ないよね」
と開き直れたこと。
昔なら、振り付けを間違えたらとても恥ずかしかった。
何年も通っているのに間違えるなんて、
と思っていたのだ。
でも昨日は3か月ぶり。
間違えていたって全然平気。
「だって、久しぶりなんだもん」
ってなもんだ。
妙な見栄を張ることなく、間違えてもがんがん踊って、
良い汗をかき、気持ちがすっきりした。
中級クラスのエアロの後は、
いつものようにプールで泳いだ。
苦手な息継ぎはしないで、一息で泳いで、
途中で止まって、そこで息を吸って、また泳いで、
すいすいと水の中を進んでいった。
息継ぎをしない水泳は、ずっと水の中を見ている。
水面から出て息継ぎする必要がないので、
ずっと水中をただよっている感じ。
それはまるで水の中を楽しみながら進むダイビングのように、
ゆらゆらとただ水の柔らかさを感じて、
前へと進んでいくのだ。
私のプールの所要時間は決まっていなくて、
泳ぐ距離も決まってはいない。
疲れて、やめたくなったら、やめる。
ただそれだけ。
今日はいつもより早めに切り上げ、
無理をしないように心がけた。
自宅に帰ればほどなくして、
疲れたかな、と感じた。
右腕も腰もちょっとだるいように思った。
それでも体の重さとは裏腹に、
心は充足感で満たされていた。
「ようやく私の日常が戻ってきた」
そんなうれしさでいっぱいだった。
「今日はジムに行ったの?」
との帰宅した主人からの問いに、
「行ったよー!」
と言った声のトーンがことのほか明るくて、
改めて私はジムの再開を楽しんでいるんだなと思った。
スポーツジム、再始動!
来週からは、小学校のボランティアも再始動!
私の夏は静かに終わったが、
秋にはにぎやかな毎日が始まりそうだ。