冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】自然体のススメ

ジムに限ったことではないが、

自然体でない人がいる。

あきらかに「キャラ作り」をしているのだ。

 

「陽気なキャラ」

「人懐っこいキャラ」

「体育会系キャラ」

 

別にどんなキャラになろうが構わないが、

そういう人がそばにいると、

はたで見ていて、

「しんどそう」

と思っていまうのである。

 

ちなみにみなさんは、ジムに通い始めたころ、

どんなふうに振舞ってたのだろうか?

 

その1

張り切っているという風に、大きな声であいさつをする。

 

その2

目立ちたくないので、おとなしく挨拶をする。

 

私は、2番を選んで、

しれーっとおとなしく過ごしていた。

それは、なぜか?

ずばり「ジムで神経すりへらしたくなかった」から。

 

今のジムに通い始めたころ、

私はまだ下の子が幼稚園に通っていた。

毎日毎日、幼稚園のママさんたちとともに、

いろいろとおしゃべりしたり、

情報交換したり、

なんだかんだと人付き合いをしていたのだ。

そこでの濃い人間関係は、

良く言えば親密な、

悪く言えばちょっと息苦しい、

そんな微妙な空気感だった。

 

もちろん、気の合うママさんも数人いて、

その方々とはいまも変わらず楽しい関係ですが、

そんな気の合う人ばかりでもないのが、

ママさんグループと言うもの。

正直に言えば、「人付き合いのわずらわしさは、幼稚園だけで充分」

ということだったのだ。

 

だから、ジムで私にやけにからんで「仲良ししたいオーラ」を

出してくる人に対しても、はっきりと、

「幼稚園に通園しているので、ジムは気晴らしなので」

をやんわり距離をおくように言ったこともあるくらい。

 

そんな感じの私だったが、別に、周囲の方々とまったく

交流したくない、とまで思っているわけでもなかった。

だから、例えば、

誰かが廊下にお茶をこぼした時には、

さっとティッシュを差し出し、

感謝されたこともる。

そんな小さなことが、私を形作っていくのだとも

私には何となくわかってたからだ。

 

特別に自己アピールをしなくても、

立ち居振る舞いの様子で、

なんとなくその人の人柄と言うものは分かるもの。

そうして、そんな小さな親切を積み重ねていった先に、

少しずつ少しずつ、私を理解してくれる人が、

増えていったように思う。

 

そうかといって。

なにも、すべての人に私のやり方をお勧めするわけではない。

人には、それぞれ個性があり、

それぞれ好きな方法で、自己表現したらいいと思うのだ。

それは私が決めることではない。

 

だから、「私は、1番の張り切っていくタイプ」

と言う人も、本当に自然体でそうしたいのであれば、

そうすればいいと思う。

 

例えば、あまり人見知りもしなくて、

人間関係をごちゃごちゃと難しく考えない、

超ポジティブな人ならば、

どんどん張り切って、大きな声で、

おーはーよーございまーすー!」

とすればいいと思うのだ。

それがその人の個性ならば、

無理におとなしい人を演じる必要はない。

 

たとえ周囲がどう思おうとも、

「これが私」と表現するのならば、

それはそれでアリだと思う。

そこから、その積極姿勢を支援する方々が現れ、

交流して、楽しくやっていけばいい。

 

ところが。

中には自然体でなく、

むしろわざと狙ってそうしている人がいたりする。

そして、私は危惧している。

「ジムには知り合いがいないから」

と言う理由で、

「ジムデビュー」

みたいに自分を演じる人に対して。

「最後まで、演じ続けられますか?」と。

 

なぜこんなことを言うのかと言うと、

私の通っているジムに、

まさに「張り切っているアピール」

している人がいたのだ。

 

多分30、40歳代くらいで、

一見すると、おとなしそうな人。

でも挨拶は人一倍はきはきと大きな声でするし、

誰としゃべる時も良く通る大きな声で、

スタジオ内で声が良く響いていた。

その人が来るとすぐに分かり、

「あっ、来ましたね」と思った。

 

最初は周囲のベテラン勢も、

「若くて元気な子が入ってくれた」

という歓迎ムードで、

色々な人がその人に話しかけていた。

いつもあちこちから声をかけられ、

賑やかにしていた。

 

「おとなしそうに見えたけど、元気な人だったんだな」

私は彼女に対する第一印象が空振りに終わったのかと、

最初は思っていたのだ。

 

しかし。

日を追うごとに、徐々に、彼女の声が聞こえる日が少なくなり、

そのうちに、まったく彼女の声を聞くことがなくなった。

 

ん?辞めたの?

と思って周囲を見渡すと、ちゃんといる。

でもおとなしいのだ。

大きな挨拶も、良くとおる大きな声でのおしゃべりも、

すっかりなりを潜めている。

最近では、「いたの?」というぐらいだ。

 

だんだんおとなしくなっていく彼女を見て、

私は思った。

「ジムデビューしたかったのね」と。

 

元気な自分をアピールして、

いろいろな友達を作りたかったのかもしれない。

実際、私も視線を感じることが、何度かあった。

私はあまり元気印の方は得意ではないので、

視線は気づかないふりをしていたが。

 

彼女は彼女で、

「ジムでお友達出来たらいいなー」

くらいに思っていたのかもしれない。

 

でも結局。

自分を無理にねじまげても、

長くは続かないのだと思う。

最初はみんなが面白がってくれたとしても、

だんだん、分かってくるもの。

この人、実は、おとなしい人だなって。

そうすると「元気な人と馬が合う」

と思って近づいてきた人たちは、

「ちょっと、違う」

と思って、離れていくかもしれない。

 

でもそれは、仕方がない事。

だって、元気な人を求めて近づいてきてくれたんだから。

 

だから。

私は思うのだ。

別に、ジムデビュー、してもいいと思うのだよ。

今までの自分の殻をやぶって、

理想の自分を目指しても、

それはそれで、いいと思うのだよ。

 

ただし。

自分じゃない自分を演じるのは、

長くは続かないということは、

分かっていた方がいいと思うのだ。

 

どんなに頑張ってみたところで、

ジムのように、長い時間滞在する場所では、

無理した態度を突き通すのは至難の業。

 

それに、ジムは健康的に体を鍛えるために来ているもの。

べつに、お友達を作りに来ているのでは、

ないのだよ。

もし仮に、「ジムに通い始めた理由は、お友達作り」

だという人がいるとしたら、

私は言いたいのだ。

「ジムだけが、特別、友達ができやすい場所ではありませんよ」と。

 

学校でも職場でも習い事でも。

友達作りがうまい人は、どこでも、うまい。

逆に、友達作りが苦手な人は、どこでも、苦手。

そういうこと。

ジムだけは特別区で、友達出来放題、ではないのだ。

だからこそ、ありのままの自分で、

それを受け入れてくれる人をみつけて、

仲良くなればいいと思う。

 

ジムは気分転換。

そして、自分の生活の全てじゃない。

だから、気楽に行こうよと、

私は皆さんにお伝えしたい。