先日。
ちょっと、ウキウキした気分でジムに行った。
というのも、14年ぶりくらいに、ジムの室内シューズを新調して、
それを持って行ったから。
いままで履いていたのは、ニューバランスのスニーカータイプ。
たしか、その時に通っていた実家近くのジムの中で購入したような。
真っ白で、「N」のロゴの周りを薄いピンク色がふちどっている、
なんということのない普通のシューズ。
それでも、会社員時代に毎週末、一所懸命にエアロとプールにいそしみ、
体脂肪率もかなり絞り込まれていた時期の、
思い出の詰まったシューズだった。
ジムの会員になって通うのは初めてだったので、
必要最小限のものを購入して始めた。
いつまで続けるか分からないし、
完璧にそろえると結構な金額にもなるし、と思ったのだ。
だから、Tシャツは手持ちの安価な普段着のものを代用し、
バックも手持ちのものを使っていたように思う。
水着も若いころのものを使いまわし、
何から何までお古で始めたのだ。
結局きちんとそろえたのは、シューズだけだったように思う。
だからこそ、シューズはとても愛着があり、
「がんばって買った、私の大事なジム道具」
という思いがあった。
そういう思いも手伝って、むげに捨てることも出来ず、
3年前に今のジムに移ってからも、大事に履き続けてきた。
靴底がめくれかけた時は、靴用の接着剤を買ってきて、
補修して履いた。
それでもまた、靴底がめくれた時は、また接着剤でくっつけた。
しばらくすると接着面が硬直したらしく、
頑丈になってきたようだった。
「これでしばらく履ける」と喜んでいたのだが、
半年たった頃、今度は靴底が全面的にべろんと、
分かれてしまった。
「また接着剤しようか?」と考え込んだ。
でももう2、3回くっつけて履いている。
おそらくまた半年ほど経てばめくれてくるのだろう。
それを繰り返すことを思った時、
「もうこの辺が潮時かな」と新調することが頭をよぎった。
そして、「買った時の事」「買わなかった時の事」を
想像してみた。
「買った時」には、結構な金額を支払うことになる。
これからも長く続けるならともかく、
すぐにジムを辞めてしまえば、もったいないことになる。
買うなら、あと数年は続ける覚悟はいるなと思った。
そして自分に問いかける。
「あと数年は、絶対に続ける?」
私の中での答えは「はい」。
ならばこの選択はありだという結論に達した。
「買わなかった時」には、お金の支払いはない。
いつものように補修して履いている。
でも、実はこの「補修して履く」ということは、
デメリットがある。
それは、「補修した箇所は弱いので、それをかばってしまう」ということだ。
具体的には、エアロのレッスンの最初の「足首を回す」という動作の時、
思いっきり回すと補修箇所がはがれるので、
足首をゆるやかに軽く回すようにする。
エアロの振り付けの最中も常に「靴底がはがれないように」という意識が、
どうしても働いてしまう。
それはそれで靴が傷まないのでいいかもしれないが、
やはり、出来るなら気を使わないでエアロを踊りたいなと思ってしまう。
そしておそらく半年ごとに靴底がはがれ、
補修して履く、ということを来る返すことになるのだろう。
その繰り返しが楽しいと思えるタイプならいいのだが、
私はどうしても面倒臭い、と思ってしまう。
なので、ここで古い靴は手放すのが正解ではないか、
という結論に達してしまった。
そして。
いざ新しいジムのシューズを履いてエアロをしてみた。
その結果は。
いつものエアロなのに、何なのでしょう、この足の軽さは!
羽が生えたよう、とまでは言わないが、
確実に古い靴の時のような不自由さがなく、
まるで違うレッスンのような心地よさ。
「この動きは靴底がはがれるかも」
「この足首の回し方は、補修が必要になるからしてはだめ」
などということがまるでなく、
どんなに動いても全く気にならず、
どんどん動き回っていけるのだ。
それは、もう、スリッパを脱いだ子供のように!
あまりの心地よさに、時間の経つのを忘れるほどに、
快適なエアロの時間を思う存分堪能した。
「必要なものは買わなきゃな」というのも思った。
でもそれと同時に、
「靴底を接着剤で補修して大事に履いてきたからこそ、
今の新しいジムシューズの有難さが分かるのだな」
とも思った。
要はどういう行動をするにしても、
出来るだけ自分で考えて、いろいろな思考を重ねて、
その上で行動することが大事だということだと思う。
簡単に捨てて簡単に新調していては気づかなかったことを、
気づけたことがとてもありがたいなと思っている。
なんでもかんでも、
失敗する前から分かってしまうようなタイプではないからこそ、
今こうして実体験として、大事なことに気づくことができ、
多分これからもなかなか忘れないのだろうと思うのだ。
今回買った新しいジムのシューズがいつまでもつのかは分からない。
大事に履いていこうとは思っているが、
毎日履いていればそれなりに傷んでくるだろうし、
年齢とともに、補修して履くことも、しなくなるかもしれない。
それでも何も考えずに行動することは、
したくないなと思っている。
それは「考える楽しみ」を放棄していることに他ならないから。
私は私の消費行動を楽しみ、
自分らしいライフスタイルで生きていきたいと思っているのだ。
ぼちぼちと。
私なりの歩幅でと。