冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【畑】今夏の抱負

なんだか、すっかり忘れていた畑仕事を、

ふと再開しようと思い立った。

やろう、しよう、うえよう、と。

思いながら重い腰が上がらない毎日を変えたのは、

一通のお手紙。

それは。

「今年度の市民農園の使用料の振り込みお願い」

との市からの通知であった。

 

「ついに、きたか」

さて、どうするか。

 

週に何度もスポーツジムに行き、

だいたい週に1、2回は娘のいる小学校でボランティアをし、

隣の市の親の介護も月に何度も行き、

さらに2か月前から週3日ほどバイトに行き、

果たして、畑仕事が出来るのか?

おおいに疑問であった。

 

「これはもう、私一人ではできないのではないか?」

そこで、私がとった行動は、

「家族の助けを乞う」というもの。

 

畑仕事に全く関心のないパパは以前、

「最近、畑仕事しないねえ」と関心をもっていたし、

二人娘もじゃがいも堀りなど、

きゃっきゃっ言いながら、していたではないか。

そんな感じだしな。

お手伝いをかってでてくれるのではないか?

ほんのわずかの期待をもって、

家族に聞いてみた。

 

「あのー、市民農園なんだけどね、

更新しようかどうしようか迷っているんだけど、

どう思うかな?」

 

果たして。

家族の反応は、一様に口をそろえて、同じであった。

 

「更新してもいいけど、ママは忙しいから、できないんじゃないの?」

 

思いのほか、すぐに反応して、

しかも更新しなくていいんじゃないの?的な言葉に、

一瞬、たじろいだ。

 

パパも二人娘も、後ろ向きな意見。

まずい。

ひじょーに、まずい。

このままだと、更新しない方向に持って行かれる。

 

「でもね、畑の野菜の収穫とか、楽しくない?」

思い出してくれ。

あの時の、ジャガイモ、さつま芋の、

スコップ片手に掘りまくったあの楽しさを。

 

しかし、家族の反応は変わらなかった。

「べつにー」

 

完敗であった。

これほどまでに、他人任せだったとは。

そして、野菜の収穫に関して、

それほど感動してはいなかったのだと、

寂しさすら覚えた。

 

あきらめた。

この家族を説得するのはあきらめた。

ああ、どうするか。

天を仰ぎたくなるような気持だった。

 

しかし。

庭の花壇には、数か月前に植えた、

仮植えのじゃがいもが芽を出している。

日ごとに葉を広げ、早く出してくれ、とひしめきあっている。

市民農園に植え替えてあげなければ、

花壇の固い土では、あまりいい芋はできそうもない。

ひとまず、ジャガイモのために、

市民農園に出向いていった。

 

長いこと放っておいた割には、雑草はそれほどでもなく、

ひとまず、ジャガイモ用の2畝だけくわを入れてみた。

しゃかしゃかと、よく肥えた畑の土を掘り、

雑草を抜き、雑草の根を取り除いた。

そうして2畝作り終えるころ、

私の心は徐々に更新へと傾いていた。

 

「やるしか、ないか」

誰が助けてくれるでもない、

私の趣味の野菜畑。

「家計の助けになるから」

と言ってみても、パパは

「好きでしているんでしょ?」

と言っていた。

見抜いていたのだ。

そりゃそうだ。

誰だって見ていれば分かる。

どんなに疲れていても、

畑に行きたがる私の生活を、

見ていれば誰だって分かる。

そして、誰よりも、私自身が知っているのだ。

 

市民農園の振り込み期限はあと1週間。

すでに、10畝すべてを作っている私は、

きっと使用料を振り込むのだろう。

たとえ家族の協力が得られなかったとしても、

たった一人でも畑仕事に汗を流すのだろう。

 

やはり、好きなのだ。

土に触ることがなにより好きなのだ。

それならば、それでいいではないか。

畑仕事をする、更新料も体力も気力もある。

ならば、やればいいではないか。

たとえ、上手にできなくても、

家庭菜園なのだから。

ふぞろいの野菜だって、ご愛敬と言うものだ。

バイトや介護で水やりがあまりできなくっても、

それなら水やりが少なくていいものを植えればいい。

それだけのことだ。

 

大切なのは、続けるという事。

畑仕事に愛情をもって向き合うという事。

それだけのような気がする。

 

もうすぐ、大型連休がくる。

ホームセンターにこれでもかと野菜苗が並ぶだろう。

それまでに、牛糞と、黒マルチをしておかなくては。

忙しくなるぞ。

それでもそれは、余りにも楽しい忙しさだ。

 

今夏の抱負。

「今年も夏野菜を育てる!」

 

相変わらずの低い目標。

でも、しばらく畑を放っておいたのだから、

こんなもんだなと思っているのである。

 

 

 

 

【ジム】専業ジム、要注意

今回は、専業ジム、と銘打ってみた。

その心は、「専業主婦」+「ジム」=「専業ジム」

ということ。

つまりは、専業主婦で、ジムのみが決まった予定事、だという人のことである。

 

かつて、私も専業ジムであった。

なぜなら、子供が小学生であるし、周囲に子供を預けられる親戚など

いなかったからである。

仕事をするには、どうしても、夏休み、冬休み、など、

長期休暇がネックになる。

朝から晩まで、小学生二人きりの留守番にするには、

少々たよりない感じの我が娘達。

というわけで、仕方なくの専業主婦。

 

それはそれで、最初はまあ楽だなと思って続けていた。

しかし、専業主婦も13年目を迎えた頃。

「あーあー、専業主婦、飽きちゃった」

となった。

そして、現在、アルバイトを始めたのである。

その結果、ビフォーアフターでどう変わったのかを説明したい。

 

まず、専業主婦だったころ。

私は毎朝決まった時間にジムに通っていた。

私自身も、以前からジムに通っていた常連さんたちも、

向こうもこっちも、時間がある身である。

当然ながら、お互いに、ちくいち行動が気になる。

今までは何でもなかったことでも、

いちいち気になるのである。

それは、いわゆる暇だから。

 

例えば、あの人はどうしていつも、派手なウエアを着ているのだろうか?

運動しに来ているのに、そんなにおしゃれする必要が、あるのだろうか?

ごく普通のウエアで運動すれば、いいのではあるまいか?

などである。

相手にしてみれば、放っておいてくれよ、である。

誰かに迷惑かけたわけでもないんだし、

構わんでくれよ、である。

しかし、私は気になっていた。

なぜなら、とても、とっても、とっっっても、暇だったから。

他に、興味の対象がないのである。

 

もちろん、声に出しては言えない。

言えるはずもない。

「あなたのウエア、派手だよ。もっと普通のでいいんじゃない?」

な、ど、と。

言えるはずもない。

しかし、心ではちょっとだけ、思っていた。

「運動しにきてるんだから、もっと普通にしようよ」と。

本当に余計なお世話である。

あの人はどうのこうの、この人はちょっとどうのこうの、とか。

余計なお世話、だっていうのは分かっているのにね。

やめられないんだよね。

 

そうして自分の事を振り返ると、

周囲の面倒な人たちの事も、

だんだんに分かってくる。

「要するに、みんな、みーんな、みーーーんな、暇なんだよね」

だから重箱の隅をつつきまくるんだよね、と。

 

今現在。

「皆暇だから、あれやこれや、いいたいんよね」

と俯瞰して考えられるのは、

自分の生活が少々変化したから。

週に3日ほど、ちょっとしたバイトに行き始めたから。

 

ジムなど、気分転換以外のなにものでもない。

だから多少の事は放っておく。

だって、ジムに気を取られたくないから。

今一番気を遣うのは、バイトだから。

ジムは少々嫌味言われても、大したことはないと、

思えてくるのである。

 

つくづく、なにごとも、自分の気持ち次第なのだなあと思う。

今は、不定期にジムに行くので、

嫌味な態度の人もいない。

相手もさして相手にしなくなってきた。

だって、たまにしか会わない同士だから。

 

結局、面倒くさい人間関係は、

密な関係だったりするのだろう。

少し緩い関係なら、そこまでの干渉はないのかもしれない。

そう思うと、それが分かっただけでも、

バイトを始めたことが無駄ではなかったような気がしてくる。

 

専業主婦の人は、どうか、いろいろな趣味なり、用事なり、

作ってくださいね。

あまりにも暇だったら、

少々きつかったりしますよ。

あくまでもジムは息抜き。

それを忘れなければ、楽しいジム生活が待っている気がします。

 

一緒に楽しく、ジムをやっていこうよ!

【書評】最近読んだ本、2月

 

今月読んだ本は、こちら。

今月も少ない。

2冊のみ。

禅の本も借りていたのに、読めなかった。

来月はどうなるか?

こちらは、ミニマリストなのに、「増やす」と銘打っていて、

興味がわいたので借りてみた。

つまりは、何もない部屋で、「毎日1つずつ、物を増やす」というもの。

本当に生活に必要なものを考え抜いて、

着実に「生活必需品」を備えていくという試み。

なかなか興味深かった。

読み始めの頃は、正直、必要最低限の日用品だろうと思っていたのだが、

実際には、料理本だの好きな置物だの、

そういうものが必要だったりするようだ。

「人はパンのみにて生きるにあらず」なのだなあと、

つくづく思い知った本だった。

 

自分自身について考えてみると、

確かに心の潤いが大事だったりするなあと

思ったりした。

部屋にお花を飾ったり、

お笑い番組を見たり、

友達としゃべってげらげら笑ったり、

そういうもので生活って出来ている気がする。

「生きるってそういうもの」

と気づかせてくれた楽しい本でした。

おすすめです。

こちらの本は、「好きなものに囲まれた暮らし」

を実践している著書の生活本。

たくさんの私物が出てきて、

「かっこいいなあ」と思うもの多数。

いやはや、センスがいい人っているんですね。

憧れますな。

でもきっと、この本が言いたのは、

「自分の好きを大切に」

ということなんだろうな、と思った。

決しておしゃれじゃなくても、

好きならいいよ、そういう感じ。

押し付けない文章が、とても心地よかった。

「私はこういうのが好き」

という自分発信的なところが好感度高し。

 

私はそれほどおしゃれ生活を目指しているわけではないが、

無駄をそぎ落として、好きなものに囲まれた生活は、

いいかなと思う。

もう少し気合を入れて、洋服以外の断捨離もしていきたい、

スッキリと生活したい、と改めて思わせてくれた本だった。

 

今月も2冊で、最近読む冊数が鈍化している。

うーん。

でもまあ、ぼちぼちでいいか。

最近、忙しかったし。

「無理せず、細く長く」

私のブログのモットーだしな。

今月は、こんなところで。

 

【ジム】1か月の休会を経て

ジムを1か月休会している。

体調不良とか、気分が乗らないとかではない。

とにかく、世話を焼かなきゃいけない人が

多すぎる問題だ。

 

まずは小学生の二人娘。

次に隣の市に住む老親二人。

特に老親が毎週末行かなきゃいけなくて、

精神的にも時間的にも、やられた。

 

というわけで11月に4回しか行けなかったジム。

会費がもったいなさすぎて、

12月は休会手続きが間に合わないので、

翌1月からの休会手続きをした。

夏休み以外で、丸々1か月の休会は初めてで、

ちょっとは経済的に節約になるかなとか、

いろいろ思っていた。

 

結局、休んでみて思ったのは。

この休会は、しない方が良かったな、と。

月に4回だとしても、細々とでも、

続けておいた方が良かったな、と。

なぜなら、体がどんどん硬くなって、

股関節やら膝やら、

動かしにくい部位がとにかく、

円滑に動かなくなりつつあったのだ。

 

たとえ月に4回だとしても、

丸々1か月体を動かさないよりは、ましなのだろう。

今まであまり思わなかったが、

冬は特にだらけやすく、部屋にこもりがちなのだ。

夏休みに1か月休んだとて、

二人娘と、お庭でプールとか、

ショッピングモールお出かけとか、

近所にお散歩とか、

いろいろ動いているのだ。

 

ひきかえ、1月の休会は、

基本的に二人娘は小学校。

主人はもちろん会社に勤務。

当然、私一人がお家でまったり。

たまに小学校のボランティアに行くけれど、

時間にすれば、少ないもの。

しっかりとした運動とはならないのだ。

つまり、だらけた生活そのものだ。

 

3年以上もジムに通って、

しっかり運動しているつもりであった。

少々、1か月くらいジムを休会したところで、

大したダメージはないだろうと

高をくくっていた。

しかし、甘かった。

ひと月休んだだらけきった体は、

しっかりとウエスト周りに、

うっすらと脂肪浮き輪を作り始めているのだ。

 

いかん。

いかん、いかん。

いかん、いかん、いかん。

これでは、ジムしています、などと言えない、

だるだるな体になってしまう。

専業主婦だが、引き締まった体型を誇っていた自分を、

だるだるにしてしまうわけにはいかない。

自分が自分を許せない。

えーい、こうなったら、

2月から、すたこらさっさとジム通いしてやるぜー!!!

 

毎日の生活は、ままならないことだらけ。

ジムに行きたくても、家の事情で介護優先。

そんなこんなで、ジムほとんど行けず。

そんな時も、時にはある。

あるんだよ、主婦にはね。

 

「主婦という名のサブスク」

なんでもかんでも詰め込み放題の、

頼み放題の時期があるのだよね。

別にそれが死ぬほど嫌なわけじゃないけど。

ジムって、やっぱり趣味だから、

後回しになるっちゃあ、仕方ないんだけど。

ちょっと、へそ曲げたくなる時もある。

女の子だもん。

(今笑った人、いるよね?)

 

人間50年も過ぎてれば、

体のあちこちが摩耗して来て、

いろいろメンテナンスが必要。

だけど面と向かって、

「ジム、必要経費だから」

とは、言えない我が家。

それでも、こっそり、

必要なんだよな、と自分で自分につぶやくのだ。

自分の体は、自分で作る。

それしか、健康を維持する方法はないと思っている。

あとになって後悔する前に、

日々の体づくりが大切だと思っている。

 

ひと月数回しか行けないなら、

休会もありか、と思っていた。

でも実際には、

ひと月数回でも、行っていたら違うのだ。

全く行かないひと月と、

数回行くひと月では、

体力の衰えも筋力の低下もあちこちの円滑な動作も、

全く違うのだ。

もちろん、個人差はあり、

ひと月休んだって、どうってことない人もいるだろう。

でも、休んだら体がだるだるになる人も

少なくないのではないか、と思うのだ。

 

もしも、ひと月数回しか行けないから休会しようかな、

なんて迷っている人がいたら

是非お伝えしたい。

休会しても毎日動くなら、それでもいいかもしれない。

特に暖かい季節はよく動けるし、いいのかもしれない。

 

でも、特に冬は休会しない方をお勧めしたい。

冬って、サボりやすい季節。

寒いから、雨だから、雪だから、

部屋から出たくないから。

いろいろな言い訳のオンパレード。

気を付けてほしい。

 

そして休会は、出来るだけひと月でやめておいた方がいい。

だらけた体は、それ以上休むと大変なことになりそうだ。

もしも迷っている人がいたら、

私はそんな感じである。

もしよろしければ、ご参考に。

ジム、楽しんでいこうよ。

 

 

 

【ブログ】過去のブログ

ブログを始めて、2年程が過ぎた。

今までは、現在の気持ちを書き綴ることばかりで、

ブログとは、「書くこと」と思っていたのだが。

最近は、ちょっと違う。

書くことと同時に、過去の記事を「読むこと」もまた、

ブログの楽しみ方なのだなと思う。

 

ずっと何十年も、紙の日記を書いてきた。

シャーペンで文字を書くのが苦手なのに、

ずっとずっと続けてきた。

でも毎回、どうしても、面倒になってきて、

思っている気持ちを要約して書いているのだ。

その方が楽だし、ページ数にも限りがあるから。

 

ところがブログは違う。

いくらでも書ける。

なんなら、私の入院ネタなんて、

数回の連載にしてブログ化している。

こんなん、だれが読むねん?

とは思うのだが、

キーボードだと速く打てるし、

文字数も結構な量を許容してもらえるのだ。

 

そうして書いてきた過去のブログを読み返すと、

当時の自分がよみがえってくる。

「ああ、この時、大変だったんだよな」とか、

「ああ、こんなこと、考えていたな」とか。

過去の自分が今の自分に教えてくれる。

「よく、頑張っていたよ」と。

 

大人になると誰もが、

ほめてもらうことなどなくなる。

よほどのことがない限り、

怒られる方が多い。

スーパーで買い物しているだけで、

「邪魔だよ!」というリアクションを取られたり。

幼児だったら、

「あら、かわいいねえ~」になるのにね。

 

ブログに煮詰まると、しょうもないことも書きたくなる。

2千字埋める目標もほっておいて、

200、300文字でも全然OKとばかりに、

好き勝手を書く連ねる。

でもこれが楽しい。

自由気まま、最高!なのだ。

 

何年経ったら、数十人、数百人の人が見てくれるのか。

トホホな気持ちは、むくわれるのか。

それでもひたすら、キーボードに打ちまくる。

自分の気持ちをぶつけまくる。

誰にも伝わらなくてもきっと、

未来の自分が見てくれる。

 

「こんな、しょーもな記事、誰が読むねん?」

っていう記事も、

笑って読んでくれる未来の自分がいるはずだ。

大して面白くなくてもいい。

大事なのは「私が書いた」という事実。

どこかの大物ではなくて、しょうもない私が書いたという事なのだ。

 

忙しい時は、ネタはたくさん。

でも書く時間も気力もない。

暇な時は、各時間はいっぱい。

でも書くネタが浮かばない。

 

それはまるで、お金のよう。

忙しい時は、お金がたくさん。

でも使う時間がない。

暇な時は、お金を使う時間が一杯。

でも肝心のお金がない。

そんなもんだな。

 

いつか「ブログやっていて良かった」

という日が来るのだろうか。

それはいつなのだろうか。

永遠に来ないのだろうか。

まあ、それでもいっか。

 

「好きこそものの上手なれ」

信じてみるとするか。

【ブログ】寒さに負ける

今年も冬は寒い。

うちのパソコンは2階にあるため、

ブログをしようと2階にあがるのだが、

いかんせん、

寒い。

 

そばにカーボンヒーターがあるので、

パソコンの電源を入れると同時にヒーターも点けるが、

足元以外は、

寒い。

 

特に指先がかじかんできて、

気持ちが折れそうになる。

元来のなまけ癖に拍車をかけるのが、

この寒さなのだなと思う。

自分の意志の弱さに、

なんだかな。

 

全然関係ないが、

今期のドラマが出そろって、

ひとまず、ざあっと、初回を視聴してみた。

二日間ほどひまひまだったので、

お菓子片手に観てみたのだ。

そして、思った。

「今期は、病院系が多い」と。

 

続けざまに4、5本もドラマを観ると、

まあまあ慣れてくるのだが、

それにしても、病院物が3本もつづくと

さすがに食傷気味。

「なんでやねん」

とつっこみをいれたくもなる。

 

加えて、なぜかマイノリティ系が3本、ある。

性的マイノリティ、発達系マイノリティ。

ここでも、「なんでやねん」とつっこみたくなったのだが、

その気持ちは今はない。

それは、なぜか。

3本とも独自路線で、とても秀逸に思えるドラマだったから。

 

最近の傾向として、

人気漫画にのっかったり、

人気小説にのっかったり、

「間違いなくウケる」というのを、

ドラマ化する傾向にある。

実際、マイノリティ系も、そうだった。

しかし、ドラマにはドラマの良さがあり、

人が演じることでしか出せない味もあるのだ。

今期のマイノリティにはそれがあった。

だから、胸に響いた。

 

安易にウケを狙うドラマは好きではない。

それは、どうしても浅い物語になってしまうからだ。

現在、人気が表面化しているから、

深くならないからだ。

私がドラマを観たり映画を見たりする際、

別にべたなものでもかまわない。

ただし、そのストーリーを見た後に、

なにかを感じなければ、

見た意味がないと思ってしまうのだ。

せっかくなら、独自のものをみせてほしいと

思ってしまうのだ。

 

とはいえ、新しい視点の物語を生み出すのは、

なかなかに難儀な事だろうとは思う。

でも期待しているのだ。

ドラマ班には、もっともっと活躍してほしいと

願っている。

なんていうと、どの立場から?なんて言われそうなので、

この辺で終わりにしておこうっと。

 

あと。

全く関係ないけど、

先日のバラエティ番組で、

ツボにはまった場面がある。

それは、いとうあさこのとマツコ・デラックスのやりとり。

 

「椿1本ほ着物が似合うような歳になったのね」(マツコ)

「ごめんください」(あさこ)

「今日は口紅つけてんやもんな」(モモコ)

「紅、つけてるんやもんな」(アンミカ)

「もう、やめて(笑)。紅の話はやめて、姉さん(笑)」(あさこ)

 

このくだりが、ツボりすぎて、

録画を4、5回、繰り返し見たよ。

あさこ、かわいかった。

まるで、ドラマのようだった。

「あ、いいとこのお嬢さんの会話だ」

と思ったね。

さすが、お嬢さん。

お上品だった。

 

マツコもあさこもモモコ(ハイヒール)もアンミカも、

みんな大好き。

「上だと女が吠える夜」も「トークイーンズ」も大好き。

ずっと続いてほしいな。

 

何だか良く分からない内容だけれど、

とにかくなんだか、ブログが書きたかったので、

書いてみた。

 

ぐだぐだな内容でごめんよ。

でも、楽しくかけたよー。

またね。

【ブログ】お久しぶり

最近のブログはと言うと、

、、、、、

書けていない。

理由は、いろいろあるが、

大きなものは実家の介護に通っているから。

なんだかな。

 

ジムも畑もボランティアも、

あれもこれもと手を出して、

あっぷあっぷ。

それなのに、そこに追い打ちをかけての実家の介護。

しかも週末の金曜、土曜、日曜。

なんだかな。

 

ブログを頑張ると決意したものの、

さっそくこんな調子で気持ちも折れる。

折角見てくれた人も離れていきそうで悲しい。

 

それでも、

「あーあ、やめだ、やめだ」

とはならない。

好きなんだな、ブログ書くのが。

自分がこんなに文章を書くとは思ってもいなかった。

読む方専門だと思っていた。

 

昔は、いざ原稿用紙に向かっても、

何にも浮かばない。

文字を書き始めても、

気持ちに指が追い付かない。

無理だな、書くことは。

そう思っていたのだ。

 

ところがどっこい、

時代は変わり、

今はパソコンのキーボードで、

テケテケテケ、と叩くのみで、

あーら、不思議、

文章が出来ているではあーりませんか。

文明の利器、万歳ーーーーーーーーーーーーーー!

 

とはいえ、なんにも頭にインプットしていないと、

なんにも出てこないわけで、

やはり本や新聞やニュースやヤフーやなんやかんやで、

情報を取り入れることは大切だなと思う。

 

ミニマリストも節約も整理整頓も、

今まで気になって読んでいた本に、

ちょっと食傷気味の私に、

一体どんな好奇心があるのかと、

自分でもまだ分かんないけれど。

 

ひとまず、なにかしらの情報を入れたいと思い、

また今週も図書館で本を借りた。

好きだな、本。

これはもう、性分だな。

昔は、自分の事を、活字好きだと思っていたが、

今は、情報を入れたい性分なんだなと思う。

自分の知らないことを知ることが、

とてつもなく好きなのだ。

これはもう、やめられない。

 

そして自分の「面白い」と思った事柄を、

分かりやすく解説するのも好き。

相手が退屈そうなそぶりをみせるまでは、

身振り手振りも入れて、

面白おかしく話すのだ。

相手が笑ってくれたら、

私もうれしいのだ。

 

たぶん、ブログを書くのもそんな気分だな。

見えない相手だけれど、

だれかが「いいね」と思ってくれたら、

たとえ「いいね」ボタンがなくても、

それでいい。

私は勝手に「たぶん、おもろいよね、このネタ」と思って、

勝手に書いていくのみだ。

 

小学生ブログも、親孝行の介護ブログも、ジム畑ブログも、

最近はかなりのお久しぶり感があり、

申し訳ないと思う。

それでも書きたいと思ったら、

やめずに書いていきたいと思う。

それは、ここが大切な場所だから。

「ブログという居場所」が

私にとって、とても大切なものだから。

 

つたない文章を、今日もつむいでいく。

誰も見てくれなくても、

それでも私はつむいでいく。

ブログを書くことで、

自分がなにものかになりたいと思っているから。

それは本の出版とか、有名になりたいとか、

分かりやすいものではなく、

「ブログを書き続けられる人」

になりたいと思っているのだ。

 

25年前に、ふらりと書き始めた日記が、

いつのまにか今も続いているように。

ブログもそんな風になればいいなと思っている。

 

「千里の道も一歩から」

足元を見つめて、

書いていきたいと思う。