さて、続き。
早朝4時に体が立てなくなった私に、
救急車の音で近所に騒がれたくない主人が、
「救急車は絶対呼ばないで!」
と釘をさしてきた。
もしも主人の言うとおりに、
主人の肩を借りて自宅の車に乗るとして、
私の腰はもうその短距離の移動さえ許さないほどの痛み。
恐らく精神的に持たないだろう。
命の危機を感じる激痛が、
腰を動かすたびに容赦なく襲ってくる。
世間体を気にする主人。
腰の激痛で動けない私。
すでに精神力は限界に達し、
意を決して私はある提案を主人にした。
「あなたが出勤して、近所の人が騒がない時間になったら、
ひっそりと自分で119番通報する、というのではどうかな?」
この状況でも、自分のスケジュールの予定変更に難色を示していた主人は、
私のこの提案にのってきた。
そして、6時47分にいつも通りに出勤していった。
「近所の人が騒がない時間になったら通報」
とは言ったものの、子供たちが登校したら、
自分一人だけになる。
自宅の鍵かけも出来ない。
何かあっても誰も助けてくれない。
私は速攻で携帯を手にして、119番に通報した。
「体が動けません。助けてください!」
15分ほどで、サイレンの音を響かせて救急車がやってきた。
救急隊員の姿を見た瞬間、「助かった!」と泣けてきた。
そして出来るだけ体を動かさないようにして、
ストレッチャーにのせてくれ、そのまま救急車の中へと運ばれていった。
子供たちは私が指示した通り、
家に鍵をかけてくれ、
救急隊員の人が見守る中で登校したようだった。
「生き延びられた!」
もう何も考えられないほど、
疲労が襲ってきた。
救急車はゆらゆらと、総合病院に向かって走っていった。
どこの病院を希望するかと聞かれて、
いつも行く総合病院の名前を挙げるも「そこは無理です」と断られ、
結局中規模の総合病院へと搬送された。
レントゲン、MRIを撮り、病室へと運ばれて、
検査結果を待つことになった。
体を動かすたびに激痛が走ったものの、
動かなければそこまでの痛みがないのがせめてもの救いだった。
検査台に乗るたびに腰が動き、
他のたびに激しい痛みが襲ってきて、
私は「いったーーーーーーーーーいーーーーー!」と絶叫していた。
その様子から「圧迫骨折かもしれない」と言われ、
骨折なら最低でも1か月の入院になると言われた。
入院の手続きの為主人の来院が必要だと言われたので電話をして、
「圧迫骨折なら1か月の入院」と告げると、
主人は沈んだ声でそれを受け入れる返事をしていた。
そしてしばらく待った後、検査結果が出たとのことで、
担当になった医師が病室にやってきた。
「レントゲンでもMRIでも、骨折はなかった。
ぎっくり腰でしょう。痛みがなくなったら、今すぐにでも帰れますよ」
朗らかにそう告げる医師に、
「この痛みで自宅に帰宅できるわけないでしょう!」
とふつふつと怒りがこみ上げてきたが、
反論する元気は残っていなかった。
ただ、骨折ではないとのことで、
幾分気持ちがやわらいでいった。
結局それから9日間、入院することになった。
本当は13日間入院することを提案されたのだが、
主人が会社を休みたくないとのことで、
土曜日に合わせて退院としたのだ。
強く引き止められれば、平日退院にしたのだが、
リハビリ担当の先生から「大丈夫でしょう」との言葉を頂いたので、
土曜日に退院することにした。
退院の当日は次女が療育に行っていたので、
主人と長女が来てくれた。
エレベーターに3人で乗り込んだ瞬間、
私は長女を抱きしめていた。
「治ったんだ」と実感しました。
自分の足で立ち、自分の腕で長女を抱きしめて、
ようやく自分の体が元に戻ったことを実感した。
パジャマで過ごした病院と違い、
外出着で病院を出た。
自宅の車に乗り込み、
まだ残る鈍い腰の痛みを、
シートを倒して耐えながら、
全快ではないのだと痛感しながらも、
もう病院に閉じ込められていないという開放感が、
体中に巡っていった。
懐かしい車、懐かしい町の景色、懐かしい我が家。
何もかもが徐々に元の色を取り戻していき、
モノクロだった私の生活が、
数えきれないくらいの色で彩られ始めた。
「自由とは、なんと素晴らしい事なのだろうか」
そんな当たり前のことを、
頭の先から足の先まで、
体のすべてが喜んでいるようだった。
「僕が出勤して速攻で119番したらしいが」
と主人が言うので、
「そりゃあそうよ、死にそうだったもん」
と返事をした。
入院前の「入院なんてしないと思うよ」
と言っていた主人は、もうそこにはいなかった。
ただ、この9日間、私が痛みと闘っていたように、
主人は主人で、慣れない家事と育児に奔走されていたようだった。
かたくなに119番を拒んでいた主人のことを、
責める気持ちは、私にはもうなかった。
「子供たちのこと、ありがとう」
ただその感謝の言葉しか、浮かばなかった。
退院後のことは、また次回に。