冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】6月の入院(その3)

さて、退院してからのお話。

 

緊急入院から9日後に退院して、自宅に戻ってきた。

でも「すぐに元の生活」とはならない。

やはり退院を早めているので、体が元通りにはなっていないから。

しばらく座っていると腰がこわばり、

しばらく立っていると腰が疲れた。

結局、主人への予告通り、

「家事一切は出来ません」との姿勢を貫くこととなった。

 

元々、緊急入院の理由は、

「ゆっくり休養しなかったため」ということも大きかったので、

退院後はぶり返さないためにも安静を第一にしていた。

もちろん主人だけに頼っていては、主人も倒れかねない。

小3と小5の娘たちも、

無理のない範囲でのお手伝いを頼んだ。

 

特に腰に負担が来るものは出来ないので、

「お風呂掃除」とか「お布団を敷く」とか、

子供でもできそうな軽いものをお願いした。

いつもは、ブーたれる二人娘だが、

さすがに退院後の私が「腰が痛くて出来ない」と言えば、

自分がやらなきゃ!という気になるらしく、

なんとかやってくれた。

特に次女は、いつもは戦力としてなかなか認知してもらえないこともあり、

「私がお風呂掃除やる!」と張り切って、

しかも丁寧にしてくれた。

「子供ってやる気次第なんだなー」と、改めてその底力を見た気がした。

 

家族が頑張って協力してくれる中で、

私も自分への努力はしていった。

それは「リハビリをする」ということだ。

リハビリの先生から聞いた内容をノートにメモしていたので、

それを見ながら「体幹の筋力をつける動き」を一日に何回にも分けて

実行していった。

多分一度に長時間すると逆効果になりそうだったので、

短時間の動きを一日に何度も何度も、

適宜休憩をはさんで体をいたわりつつ、していった。

 

そうして体を休める日々を一週間ほど過ごしていくと、

徐々に体が疲れにくくなっていった。

そして10日ほど経った頃、

筋膜損傷していた左腰をかばうことなく、

自然に動けるようになっていった。

大きなくしゃみをした時にズキッと痛くなっていた腰が、

何ともなくなっていった。

「日にち薬」とはよく言ったもので、

徐々に体が回復していった。

 

現在、退院して11日ほど経った。

傷の当たりが「全く何も感じない」という状態には至ってはいない。

腰が痛いときに頼っていた右腕はやはりだるさがあるし、

痛みが引いたとはいえ、左腰の違和感はゼロにはなっていない。

重度の損傷はそれほど早くに完治することはないようだ。

 

でも。

ここからは時間をかけて、あせらずにやっていこうと思う。

毎日の生活で腰への負担を減らしながら、

無理のない範囲で動いていこうと思っている。

あと何週間かかるのか、

あと何か月かかるのか。

それは今は全く未知だが、

それでもいつかは完治すると信じて、

毎日を過ごしていこうと思うのだ。

 

20代30代の若いころのままの意識で生活してきた自分を省みて、

体力と運動能力が落ちた自分をしっかりと認識して、

「どうやったら体に負担のない生活ができるのか」を考えながら、

やっていこうと思っている。

 

出来れば家族と一緒に考えながら。

出来ればそれをも楽しみながら。

今回の入院で家族のきずなが深まったように、

この入院を無駄にしないように、

これからの生活を間違った方向にしないように、

していきたいと思っている。

 

「私は一人じゃない」

そのことがどれだけ私の心を助けてくれたのだろう。

周りの人に感謝して、これからの日々を過ごしていきたいと思っている。

 

入院中での生活もなかなか刺激的だったので、

また書きたいと思う。