先日、みかんを箱買いした。
毎年箱買いしているわけではなく、
今年は主人が実家の片付けの為、
隣の県で年越しをするので、
残された私と二人娘とで、
なんとなく手持ち無沙汰なので、
箱買いしようと思った次第。
隣の県の主人の実家は、
今の自宅よりも西にあるが、
かなり寒い。
大して変わらないだろうと思っていた新婚の頃、
主人の実家に帰省した際、
庭の松の木に、どっかりと、
10センチはあろうかという雪が積もっているのを見て、
「こんなに寒いのか」と驚いた。
そして、数年に一回は、義理の父から、
「今年は寒いから帰って来なくてもいいよ」
と言われた。
そのくらい、確かに寒いところだった。
今は施設に入っているので、
義理の父のそんな気遣いは、
もう懐かしい過去の出来事になってしまったが。
本当に寒かったなあと、
今でも思い出すのだ。
義理の父は今は病院に入院していて、
そのまま年を越すそうだ。
疫病の昨今、私達が家族で面会できるわけではなく、
主人はなんとか面会できるそうだが、
そういうわけで主人は一人での帰省となった。
二人娘は「おじいちゃんの家にいきたーい」
と言っていたが、
「一人の方が実家の片付けがはかどるから」
と主人が言うので、私たち3人は、お留守番となったのだ。
さて、年末年始用のみかんの箱買い。
今年は二回も買ったのだ。
なぜなら、一回目のみかんがかなりのスピードで
なくなっていったから。
気が付くと私も次女も、
驚くべきペースでみかんの皮をむいている。
それに触発されてか、
最初はさほどでもなかった長女も、
夕食後などに、「みっかん、みっかん♪」
とつぶやきながら、うれしそうに口に運んでいる。
「みかんで水分補給しないでくれる?」
と言いたくなるほどのハイペースに、
ちょっと、待ったをかけたくなる時もある。
自宅にみかんの木があるわけじゃなし、
毎度毎度買っていると、
それはそれで結構な出費でもあるのだ。
でも。
娘のみかんに待ったをかけると、
自分もある程度控えなくてはならない。
それは、したくない。
なぜなら。
私もみかん好きなんだよねー。
しかも今年は、みかんがおいしい。
びっくりするくらい、おいしい酸味がぎゅっと詰まっていて、
食べるとなんとも幸せな気持ちになるのだ。
みかんの当たり年。
なおさら、やめられないのだ。
なので、自分がやめられないので、
二人娘にも、やめてとはいえないわけで。
結局、3人でぱくぱくとみかんを食べて、
みかんの皮をせっせと製造している次第だ。
いろいろ思うところはあるものの。
みかんって1箱1500円から2000円くらいのもの。
今年は2箱買ったものの、それもたかが知れている金額。
それで家族が幸せになるなら、安いものだと、
そんなふうにも思うのだ。
コロナやら、家計やら、いろんな理由で外出を規制している我が家で、
せめてみかんくらいは思いっきり食べさせてあげたいなと、
思ったりするのだ。
そういえば、私が子供の頃、
果物はよく箱買いしていたな。
苺やら、ぶどうやら。
スイカは祖母宅に行った時、
畑からまるごとのスイカを切ってみんなで食べていたっけ。
みかんも例外ではなく、
冬はみかんを箱買いしておいてあり、
家族はなんにも遠慮することなく、
ぱくぱくと食べていたように思う。
さしてぜいたくな食材を食べた記憶はないが、
お弁当には必ず果物が入っていたりして、
我が家は果物に関しては、
わりとふとっぱらだったように思う。
だからこそ、自分の娘達にも、
あまり「節約、節約」言わず、
「みかんくらいは」
と思うのかもしれないな。
庭に苺を植えるのも、
思いっきり食べてほしい気持ちもあるように思う。
「自分がしてもらったことは、
自分の子供にもしてあげたい」
そう考えるものなのかもしれないね。
朝食の時はもちろん、おやつの時も、
夕食の時も、なんでもないひまな時も。
とにかく、みかんを食べまくる次女。
私の高校の友人は、みかんの食べ過ぎで、
掌が黄色くなっていたので、
次女もそんな風にならないか、
若干の不安はあります。
そのため、少しは「食べすぎだよ」
と言った方がいいのかな、とも思ったりする。
でも、せっせとみかんの皮をむいて、
おいしそうにみかんをほおばる次女の笑顔を見ていると、
ついつい、
口出しするのが悪いような気がしてくる。
「食べすぎたら、晩ごはん、食べられなくなるよ」
たまに、その程度の注意で済ませるだけ。
でも、まあ、今はそれでいいかな、とも思っている。
年がら年中、食べているわけでもなくて、
冬の「お正月みかん」を楽しんでいるので、
いきすぎだと思うまで、
もうしばらくは、このまま。
皆でみかんを楽しもうかと思っている。
「こたつで、みかん」
日本人に生まれて良かったと思う、
うれしいシチュエーション。
娘たちもそれを受け継いで、
ずっとずっと、覚えていてくれたらと思っている。
ささやかな楽しみを抱きしめられる人に、
育ってくれたらうれしいなと、
そんなふうに思っているのだ。
もうすぐ、お正月。
今年はどんなお正月になるのか。
今からわくわくしている私なのだ。