冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】禅とお金

今週のお題「最近読んでるもの」

 

相矛盾するようだが、「禅」と「お金」に興味がある。

なぜそうなのかと言えば、

取り立てて明確な理由もない。

ただ、がむしゃらに情報を欲しくなる。

現在の私の好奇心がそう言っているのである。

 

元をたどれば妹からの、「断捨離本」から

始まったのではないかと思う。

当時、幼稚園児二人を抱えて、

アップアップしていた私に、

妹が貸してくれたのが、

それ系の本であった。

 

「人生がときめく片付けの魔法」とか、

「フランス人は10着しかもっていない」とか。

たくさんの本を借りて、読んだ。

後で聞くと、妹本人はさしてはまったわけでもなく、

「本読んだけど、なかなか実践できないよねー」であった。

借りた方の私の方が、

すっかり断捨離にはまってしまったのである。

 

「持っているものを全部出ししてから、

取捨選択をせよ」

と書いてあれば、

とにかく洋服を全部出して、

思い出深いものを除いて、捨てた。

どれがいるとか、いらないとか、

迷ったら、「残す」にして、

とにかく捨てて捨てて、捨てまくった。

 

「こんなにあったのか!」

と驚愕の洋服の枚数にたじろきながら、

リサイクル店に持って行き、

雀の涙の販売利益をいただき、

「もう絶対に無駄な洋服は買わない!」

と固く誓った。

 

洋服の後も、本や雑誌を捨てた。

大好きだったエッセイ本も捨てた。

当時コンサートに通ったアーティストの載っている雑誌は、

捨てて、コンサート本は残した。

およそ3分の1以下になり、

本棚がすっきりと整った。

 

昔のミュージックテープもビデオも、

かなりの数を捨てた。

たぶん5分の1以下になっているだろう。

現在は、洋服のプラケース1つに収まるほどになっている。

思い切れば、何でも捨てられる。

 

そうしていろいろな物を捨てていくうちに、

頭の中や、心の中が、スッキリしていくのが分かった。

どれだけの無駄なものに、

力を奪われていたかが分かった。

そのうち、「ミニマリスト」の存在を知った。

「これ、素敵かも」と思った。

 

最初は多くのものを持っていたのに、

現在はミニマリスト、という人が多いことを知った。

それなら私にもできるかもと憧れた。

がらんと何もないリビング。

掃除も簡単にできるのだそう。

そして無駄買いをしないから、

お金もたまるのだそう。

これは、いい。

早速ミニマリストをめざした。

 

だが、すぐに挫折した。

うちの二人娘はとにかく散らかすのが大好き。

片付けても片付けても、片付かない。

あーあ。

早々に「今は無理ー」と宣言した。

 

そうこうしているうちに目についたのが、

「禅の本」である。

かのスティーブジョブス氏も取り入れた禅の精神。

「ここが一番懐が深いのでは?」

私はひたすらに禅の本を読んでいった。

 

禅はお寺でするものだろう。

しかし私はお寺には行けない。

小学生2人を放り出して、行くわけにはいかない。

そこで、「禅の精神」だけ取り入れることにした。

 

日日是好日」とか、

「一期一会」とか、

「主人公」とか。

普段自分が目にしている、

なじみのある禅語を足掛かりに、

禅について学んでいった。

 

禅は深い。

そして、禅語は、多い。

別に試験を受けるわけでもないのだから、

暗記する必要はない。

でもできるなら少しは覚えておきたい。

そう思っていたが、それにしても多い。

 

そこで、すべてをマスターするのはやめにした。

「禅の考え方」に触れていけば、

そのうち、それらしい振舞いができるようになると

考えるようになった。

それくらいでも、いいのだと、

自分に寛容になったのだ。

 

そして、自分の人生のぜい肉を落としていくにしたがって、

むくむくと出てきたのが、

「お金」への欲である。

どうしてそうなるのか?

それは、「お金」の力が偉大だと、

再確認したからである。

 

世の中を見回してみて、

「お金があれば解決する」

ということが多い。

例えば、貧困地域の援助をするにしても、

お金があれば解決する。

お金がないから、問題が置き去りなのである。

そう考える時、お金とは、手段であって、

最終目的ではないことに気づく。

 

今の自分がお金を欲していることは、

自己の欲の為ではない。

多少の気晴らし資金は欲しいが、

それとて、大した額ではない。

子供のお小遣い程度あれば、

私の場合は事足りる。

結局は、お金のために自分の時間を切り売りしないで、

生きていきたいと思っているのである。

 

そしてそれを求めるのは、

お金になんぞにはならない、

役立つことをしたいからである。

 

小学校のボランティアに行くのにも、

フルタイムで働いていては行けない。

実家の介護も同じである。

要は、自分の力をどこに使うのか、

その自己裁量権を持っていたいのである。

そして、自分の考えに従って、

自分や家族や地域や周りを、

手助けしていきたいと思っているのである。

 

毎月一度、家族4人で図書館に通う。

毎回7~10冊ほど借りて読む。

その中のレギュラーは、「禅」と「お金」の本である。

「億を稼ぐ」などという刺激的なタイトルは、

人前で読むのは恥ずかしい。

けれど私は思っているのである。

 

願いは叶う。

だから、1歩ずつ前へ進んでいくのだ。

「禅」の生き方をするために、

「億を稼ぐ」の本を読む。

いつか本当にお金問題から解放されて、

禅の精神で生きていけると信じている。

きっと。

 

時には、気晴らしのポテチを食べながら、

夢を見ているのである。