冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ボランティア】算数ボランティア、近況

放課後にある算数ボランティアに顔を出した。

最近は休む日も多かったので、

久しぶりだった。

もうあまり頑張って行かなくてもいいのかと、

思っていたのだが、

なんとなく思い立って行ってみた次第である。

 

ここのところ、休みがちだったのには理由がある。

昨年までの担当の先生から、

別の先生に変わって以来、

やり方が変わったのだ。

 

それまでは、児童がプリントの問題を解いて、

私達ボランティアの所に来て、

丸付けをしてもらっていた。

良くできる子も、出来ない子も、

みんな長い列を作って、

2、3人のボランティア先生に見てもらっていたのだ。

 

良くできる子は、すいすいプリントをこなし、

「もうこんなに出来たの?すごいね」

と褒めてもらって、100点を付けてもらい、

時には花丸やらニコちゃんマークやらを書いてもらっていた。

ただそれだけのことなのに、

競うようにして問題を解いて、持ってくる児童たち。

やいのやいの言ったとて、

どうせ放課後のおまけ授業である。

担当の先生も、ボランティアも、

それほど厳密なものは求めず、

わきあいあいとしていたのである。

 

あまり算数が出来ない子は、出来ない子で、

「分かりません」と白紙のプリントを持ってきていた。

「どこが分からない?」と聞いて、

児童と一緒に解いてあげる。

それでも分からない時は、

紙に図を描いて説明する。

それでも分からない時は、最後の手段。

答えを教えて、逆から教えていく。

本当はそれは良くないという意見もあるが、

分からない問題で20、30分を費やすよりもいいと、

私は思っていた。

先生もそこは理解していたようである。

 

そうして、さまざまな児童と一緒に、

放課後の算数のボランティアをこなしていたのである。

 

ところが、今年度から方針が変わった。

新しい先生の方針になったのである。

それは、あらかじめ上半分に答えを、

下半分に問題を載せたプリントを配る、というもの。

 

そして、児童が自分で解いた問題を、

自分で丸付けする、というもの。

真面目な子が多いのか、

ずるもしないできちんとしていたらしい。

それならば、何も言うことはない。

それに従うまでだった。

 

もともと、ボランティアが集まらなくて、

担当の先生が考えた苦肉の策である。

それは十分理解できる。

先生一人で、数十名のプリントの丸付けなんてしていたら、

それだけで時間が終わってしまう。

肝心の「教える」という時間がなくなってしまう。

それは、困る。

結果として、「児童が自分で丸付け」となる。

それは致し方のない事。

分からないわけではないのである。

 

しかし。

私は考えた。

「この方式だと、ボランティアの存在意義はどこへ?」

そして同じことを、私のボランティア仲間のママさんも思っていたようだ。

私の足が遠のくのと同じく、

彼女もまた、算数ボランティアから遠のいていったのだ。

去年まで、二人でせっせと通って、

児童たちに楽しく算数を教えていたというのに。

今年はすっかり様変わりして、

やる気を保つことが出来なくなっていた。

 

算数ボランティアの対象は小3で、

2人ほどのその学年の保護者ママが来て、

毎回しっかりと児童らを見てくれていた。

「丸付けはないから、それほど人数はいらないかもな」

そんな風に思っていたから、

だんだんと休む日が多くなり、

気が付けば、月の内の半分くらいは休んでいた。

「もう、行かなくていいのかもな」

そんな気持ちも出始めていた。

 

そうして、久しぶりに行ってみたのが、

今日である。

行ってみて、驚いた!

ボランティアが、いない。

先生に聞くと、「○○さんがお休みだから」だそうだ。

そして、「△△さんは、お仕事復帰されたそうだから」

とのことだった。

えー、知らんかったがなー!

 

年度初めに、教室に入りきらないほどいた児童は、

いつのまにか激減して、

今日は20人ほどしかいなかった。

そこに、ボランティアは私ひとり。

先生は、3人来ていた。

こじんまりとした補修だった。

 

でも、本来の姿を取り戻し、

「分からないところない?」

と先生が児童に寄り添っていた。

だから私も同じように、

「分からないところがあったら、すぐ言ってね」

と言って、教え始めた。

 

久しぶりに、児童に算数を教えた。

蜘蛛の巣が張りかけた頭の中に、

新鮮な空気が流れていくのを感じた。

 

「ああ、この感じ。

児童に算数を教えるこの楽しさ。

やっぱ、いいなあ。

私、好きだなあ」

を思った。

 

たいしたことなど出来ないけれど、

私にもできることがある。

そう思うと、なんだか力が湧いてくる。

 

「情けは人の為ならず」

という言葉を思い出す。

本当だったんだなあと、実感する。

自分の時間がきれいに濾過されて、

透き通っていくのを感じる。

 

ふがいない自分を抱きしめている、

そんな自分だからこそ、

出来ることがあるんじゃないかと、

自分で自分を鼓舞していく。

 

来週も行こうと思う。

たとえ大したことが出来なくても。

それが1ミリでも誰かの役に立つと実感できるなら、

試してみようと思っている。

 

小さき児童の小さき算数のお悩みを、

いっしょになって解決したいと思っているのだ。

 

昔々「小学生だった先輩」として。