放課後にある算数ボランティアに顔を出した。
最近は休む日も多かったので、
久しぶりだった。
もうあまり頑張って行かなくてもいいのかと、
思っていたのだが、
なんとなく思い立って行ってみた次第である。
ここのところ、休みがちだったのには理由がある。
昨年までの担当の先生から、
別の先生に変わって以来、
やり方が変わったのだ。
それまでは、児童がプリントの問題を解いて、
私達ボランティアの所に来て、
丸付けをしてもらっていた。
良くできる子も、出来ない子も、
みんな長い列を作って、
2、3人のボランティア先生に見てもらっていたのだ。
良くできる子は、すいすいプリントをこなし、
「もうこんなに出来たの?すごいね」
と褒めてもらって、100点を付けてもらい、
時には花丸やらニコちゃんマークやらを書いてもらっていた。
ただそれだけのことなのに、
競うようにして問題を解いて、持ってくる児童たち。
やいのやいの言ったとて、
どうせ放課後のおまけ授業である。
担当の先生も、ボランティアも、
それほど厳密なものは求めず、
わきあいあいとしていたのである。
あまり算数が出来ない子は、出来ない子で、
「分かりません」と白紙のプリントを持ってきていた。
「どこが分からない?」と聞いて、
児童と一緒に解いてあげる。
それでも分からない時は、
紙に図を描いて説明する。
それでも分からない時は、最後の手段。
答えを教えて、逆から教えていく。
本当はそれは良くないという意見もあるが、
分からない問題で20、30分を費やすよりもいいと、
私は思っていた。
先生もそこは理解していたようである。
そうして、さまざまな児童と一緒に、
放課後の算数のボランティアをこなしていたのである。
ところが、今年度から方針が変わった。
新しい先生の方針になったのである。
それは、あらかじめ上半分に答えを、
下半分に問題を載せたプリントを配る、というもの。
そして、児童が自分で解いた問題を、
自分で丸付けする、というもの。
真面目な子が多いのか、
ずるもしないできちんとしていたらしい。
それならば、何も言うことはない。
それに従うまでだった。
もともと、ボランティアが集まらなくて、
担当の先生が考えた苦肉の策である。
それは十分理解できる。
先生一人で、数十名のプリントの丸付けなんてしていたら、
それだけで時間が終わってしまう。
肝心の「教える」という時間がなくなってしまう。
それは、困る。
結果として、「児童が自分で丸付け」となる。
それは致し方のない事。
分からないわけではないのである。
しかし。
私は考えた。
「この方式だと、ボランティアの存在意義はどこへ?」
そして同じことを、私のボランティア仲間のママさんも思っていたようだ。
私の足が遠のくのと同じく、
彼女もまた、算数ボランティアから遠のいていったのだ。
去年まで、二人でせっせと通って、
児童たちに楽しく算数を教えていたというのに。
今年はすっかり様変わりして、
やる気を保つことが出来なくなっていた。
算数ボランティアの対象は小3で、
2人ほどのその学年の保護者ママが来て、
毎回しっかりと児童らを見てくれていた。
「丸付けはないから、それほど人数はいらないかもな」
そんな風に思っていたから、
だんだんと休む日が多くなり、
気が付けば、月の内の半分くらいは休んでいた。
「もう、行かなくていいのかもな」
そんな気持ちも出始めていた。
そうして、久しぶりに行ってみたのが、
今日である。
行ってみて、驚いた!
ボランティアが、いない。
先生に聞くと、「○○さんがお休みだから」だそうだ。
そして、「△△さんは、お仕事復帰されたそうだから」
とのことだった。
えー、知らんかったがなー!
年度初めに、教室に入りきらないほどいた児童は、
いつのまにか激減して、
今日は20人ほどしかいなかった。
そこに、ボランティアは私ひとり。
先生は、3人来ていた。
こじんまりとした補修だった。
でも、本来の姿を取り戻し、
「分からないところない?」
と先生が児童に寄り添っていた。
だから私も同じように、
「分からないところがあったら、すぐ言ってね」
と言って、教え始めた。
久しぶりに、児童に算数を教えた。
蜘蛛の巣が張りかけた頭の中に、
新鮮な空気が流れていくのを感じた。
「ああ、この感じ。
児童に算数を教えるこの楽しさ。
やっぱ、いいなあ。
私、好きだなあ」
を思った。
たいしたことなど出来ないけれど、
私にもできることがある。
そう思うと、なんだか力が湧いてくる。
「情けは人の為ならず」
という言葉を思い出す。
本当だったんだなあと、実感する。
自分の時間がきれいに濾過されて、
透き通っていくのを感じる。
ふがいない自分を抱きしめている、
そんな自分だからこそ、
出来ることがあるんじゃないかと、
自分で自分を鼓舞していく。
来週も行こうと思う。
たとえ大したことが出来なくても。
それが1ミリでも誰かの役に立つと実感できるなら、
試してみようと思っている。
小さき児童の小さき算数のお悩みを、
いっしょになって解決したいと思っているのだ。
昔々「小学生だった先輩」として。