冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】楽しくない時の対処法

ジムが楽しくない時がある。

今までは楽しくやっていたのに、

最近はなんだか、あまりテンションが上がらない。

そんな時がある。

 

どうやったら前みたいに、

楽しくジムに行けるのかと、

考えるが良い案が見つからない。

どうしたものか。

 

対処法としてよく出てくるのは、

美味しいものを食べるとか、

ウエアを新調するだとか、

自分にご褒美をあげるとか、

そんな感じ。

 

でも、ジムって実はそんなに面白い場所でもないし、

楽しくなくても別にいいのでは?

と私は思ったりする。

 

第一、体を鍛えに来ているのだから、

ランニングマシーンでも、

ベンチプレスでも、

スタジオレッスンでも。

基本的には、苦しい、辛い、というのはあっても、

楽しーい、というのは、

そんなにないのでは?

と思っている。

 

特に一人で行っていると、

誰かと大笑いすることも少ないし、

新しい情報が増えることも少ない。

誰かの迷惑をこうむることもなければ、

誰かに迷惑をかけることもない。

 

だから、

特段不快なことがなければ、

「楽しかった」認定してもいいのでは?

と思ったりしている。

 

もしもジムが、

会社のように、通常運転が「忍耐」だったりすると、

ちょっとした「誰かの出張土産のお菓子配り」なんかが、

たかがお饅頭一個だったとしても、

なんだかとても嬉しいもの。

たかがお饅頭一個だったとしても。

その特別感が平凡な日常のスパイスになってくれる。

 

その逆に。

ジムのように、通常運転が「快適」だったりすると、

よっぽどうれしいことがない限り、

「いつも通りだな。平凡」となり、

「楽しーい」とはならないのである。

 

しかし、考えてみてほしい。

本当に楽しくないのだろうか?

気のせいではないのか?

実は楽しいことは楽しいのだが、

飽きてしまってために、

「楽しいセンサー」がアホになっているだけなのではないか?

 

だいたい、ジムが楽しくないと悩む時点で、

かなり人生幸せなんだろうと思う。

もしも、

会社だの家庭だの友達だのともめていたら、

ジムなんてどうーでもいい、

となるような気がする。

 

ということは、ジムで悩んでいる時点でもう、

かなりの確率で幸せな人生なんじゃないかなと思う。

 

そうはいっても、辛いものは辛いかもしれない。

ならば考えてみよう。

どうしたら自分のもやもやと折り合いを付けられるか、

考えてみたい。

 

ジムが楽しくない時は。

さぼってみる。

休会してみる。

レーニングを軽めにする。

休会して浮いたお金で洋服を買ってみる。

 

つまり。

なんでもいい。

とにかく、じたばたしてみるのだ。

格好悪くても、

動いているうちに何か、

イデアが生まれたりするものだ。

それでいいと思う。

 

日頃、使わないマシーンを使ってみる。

日頃、話さない人と話してみる。

日頃、入らないスタジオレッスンを試してみる。

 

何をやってもいい。

何をやらなくてもいい。

それがジムのいいところ。

一応のジム時間を決めていても、

休んじゃっても誰も何も言わない。

それがジムのいいところ。

 

ただし、時に。

ジム以外の悩みが大きくて、

ジムを楽しめない時もある。

そんな時は、そっちの方を考えてみる。

そうしないと解決しない。

 

ジムは気分転換なのだ。

それに悩んでしまうのは、

あまりにももったいない。

 

ケチ道、もとい、

節約道をひた走っている私からしたら、

悩んでいる時間が、

それこそもったいない、

と思ってしまうのである。