ジムが楽しくない時がある。
今までは楽しくやっていたのに、
最近はなんだか、あまりテンションが上がらない。
そんな時がある。
どうやったら前みたいに、
楽しくジムに行けるのかと、
考えるが良い案が見つからない。
どうしたものか。
対処法としてよく出てくるのは、
美味しいものを食べるとか、
ウエアを新調するだとか、
自分にご褒美をあげるとか、
そんな感じ。
でも、ジムって実はそんなに面白い場所でもないし、
楽しくなくても別にいいのでは?
と私は思ったりする。
第一、体を鍛えに来ているのだから、
ランニングマシーンでも、
ベンチプレスでも、
スタジオレッスンでも。
基本的には、苦しい、辛い、というのはあっても、
楽しーい、というのは、
そんなにないのでは?
と思っている。
特に一人で行っていると、
誰かと大笑いすることも少ないし、
新しい情報が増えることも少ない。
誰かの迷惑をこうむることもなければ、
誰かに迷惑をかけることもない。
だから、
特段不快なことがなければ、
「楽しかった」認定してもいいのでは?
と思ったりしている。
もしもジムが、
会社のように、通常運転が「忍耐」だったりすると、
ちょっとした「誰かの出張土産のお菓子配り」なんかが、
たかがお饅頭一個だったとしても、
なんだかとても嬉しいもの。
たかがお饅頭一個だったとしても。
その特別感が平凡な日常のスパイスになってくれる。
その逆に。
ジムのように、通常運転が「快適」だったりすると、
よっぽどうれしいことがない限り、
「いつも通りだな。平凡」となり、
「楽しーい」とはならないのである。
しかし、考えてみてほしい。
本当に楽しくないのだろうか?
気のせいではないのか?
実は楽しいことは楽しいのだが、
飽きてしまってために、
「楽しいセンサー」がアホになっているだけなのではないか?
だいたい、ジムが楽しくないと悩む時点で、
かなり人生幸せなんだろうと思う。
もしも、
会社だの家庭だの友達だのともめていたら、
ジムなんてどうーでもいい、
となるような気がする。
ということは、ジムで悩んでいる時点でもう、
かなりの確率で幸せな人生なんじゃないかなと思う。
そうはいっても、辛いものは辛いかもしれない。
ならば考えてみよう。
どうしたら自分のもやもやと折り合いを付けられるか、
考えてみたい。
ジムが楽しくない時は。
さぼってみる。
休会してみる。
トレーニングを軽めにする。
休会して浮いたお金で洋服を買ってみる。
つまり。
なんでもいい。
とにかく、じたばたしてみるのだ。
格好悪くても、
動いているうちに何か、
アイデアが生まれたりするものだ。
それでいいと思う。
日頃、使わないマシーンを使ってみる。
日頃、話さない人と話してみる。
日頃、入らないスタジオレッスンを試してみる。
何をやってもいい。
何をやらなくてもいい。
それがジムのいいところ。
一応のジム時間を決めていても、
休んじゃっても誰も何も言わない。
それがジムのいいところ。
ただし、時に。
ジム以外の悩みが大きくて、
ジムを楽しめない時もある。
そんな時は、そっちの方を考えてみる。
そうしないと解決しない。
ジムは気分転換なのだ。
それに悩んでしまうのは、
あまりにももったいない。
ケチ道、もとい、
節約道をひた走っている私からしたら、
悩んでいる時間が、
それこそもったいない、
と思ってしまうのである。