さて、先日の金曜日の朝のこと。
いつものように一人で、ジムのエアロ中級のレッスンに行ってきた。
慣れたつもりだったエアロ中級だったが、
何回かしてみると、毎回違う動きが出てきて、
「やはり中級は難しい」ということを感じた。
それでも、難しいことに挑戦できることに、
ちょっとした期待も感じた。
成長することへの楽しさだね。
そんなレッスンの最後、コーチがこんな言葉を言われていた。
「自分の扱える以上のものを、持たないようにしてください」
その言葉は、なぜか私の心の中に、すっと入り込んできた。
その後の言葉の続きとして、
「ジムに、フライという重いものを左右に動かす器械がありますが、
自分の扱える以上の重さのものを持ってしまうと、
たまに、肩の骨が外れてしまう方がおられます。
そうしたことがないように、あまり無理をしないで、気を付けてください」
とのことだった。
要するに、重いものを持つときは気を付けましょう、とのこと。
でもなぜか私には、最初の言葉が強く胸に突き刺さった。
なんだか、ジムの中の話だけではなく、
人生における金言のように心に響いたのだ。
私は現在、ジムと畑と小学校の各種ボランティアと、
実家の家事手伝いと、小学生のママをしている。
わりと毎日忙しくしている。
それに加えて最近では、ブログまで始めてしまった。
「一日は24時間しかないのに、いろいろ、したいことが多すぎるー」
と思っていた矢先。
読書する時間が短い、ピアノの練習する時間がとりづらい、
もっと二人娘と遊んであげたい、などなど。
どうしたらいいのかと、困っていた矢先で。
「自分の扱える以上のものを、持とうとしているのではないか?」
と、ふと、自分に問うている私がいた。
そんな中、金曜日の午後から、体調不良になった。
昼食後、何時間もお布団の中で眠って、体を休めていると、
どうしてもせねばならないことなど、
それほど多くはない、ということに気が付いてきた。
私でなくてもいい、ということが、
意外と多いことに気が付いた。
自分ばかりが頑張って、頑張って、
私は一体、何がしたいのだろうと思った。
結局、自分と自分の近しい人たちが笑顔でいることが大切なのだと、
そんなことに気が付いた。
そうならば、あれこれと肩ひじをはっていかなくても、
いいのかもしれない。
頑張って、頑張って、
でも、出来ないことがあっても、
それはそれで、なんとかなるんじゃないかと、思えてきた。
ジムに行けない日があっても、
畑仕事が出来ない日があっても、
ボランティアに行けない日があっても、
読書やピアノが出来ない日があっても。
出来るものだけをして、
「今日はお休み」の日があっても、
そういうことも受け入れていこうと思った。
風邪で体調が悪くなって、
一日半もの貴重な時間を無駄にしてしまったけれど。
この「お布団で寝込んだ時間」が私に、
「頑張らないこと」を教えてくれたように思う。
自分の扱えるものを持って、
これからも頑張りすぎないない日を、
精一杯過ごしていこうと思っている。
たまには、寝込むのも悪くないかも、と思ったりした。
主人にはご迷惑をかけてしまったが。
けがの功名かなと、思ったりしている。