冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】舗装されていない道路

子供の頃住んでいた家の前には空き地があり、

その境には細い道路が通っていた。

 

当時、アスファルトに舗装された道路の方が珍しく、

当然ながら、その細い道路は舗装されていなかった。

どん突きにある家の前の道路は、

近所の住人の車以外はほとんど通らず、

隣接している200坪ほどの空き地とともに、

子供たちの格好の遊び場となっていた。

 

空き地にはまだ、葦がびっしりと茂っており、

その葦を子らがふんづけて路地を作っては、

迷路のようにして遊んでいた。

しばらくたつと、葦はきれいにかられ、

きれいな土が入り、

見事な空き地に様変わりしていた。

 

ここで、缶蹴りや鬼ごっこや、

竹馬や、自転車の練習や、

いろいろなことをして遊んでいた。

まだ開発されきっていないド田舎の空き地は、

誰も何も文句をいう事のない、

のどかな子供天国だったのである。

 

舗装されていない道路は、

今なら怒られそうだが、

子供達だけで、落とし穴を掘ったこともある。

結構な大きさで、しっかりと、

いたずらを成功させた。

あの頃だからこそできた、

大いなるいたずらだったのだ。

 

大きな声をしても、

ボールを使っても、

大勢で集まっても、

夜暗くなるまでいても、

花火なんかをしても、

誰も何も言わない。

 

住宅より田んぼの方が幅を利かせている

ド田舎ならではのおおらかさで、

私達子供は、文字通りの、

自由気ままを謳歌していたのである。

 

引っ越しをして、

その家を離れても、

わりと近くに住んでいたものだから、

実家に行くたびになんとなく、

空き地を見ていた。

数十年が経ち、空き地が駐車場になったのを見た時、

時代が変わったのだと知り、

少しの寂しさを覚えた。

それでも、付近の住宅は幼少期の家がそのままで、

懐かしさを保っていた。

それがとても安心で、

昔の風景があることのうれしさとは、

こういうものだなと思っていた。

 

空き地は、駐車場となっても、舗装などされておらず、

紐で仕切っただけの簡素な物だった。

隣接している道路も、

舗装されていないままだった。

その頃ふと、どうして舗装されないのかと疑問に思った。

「イマドキ、舗装されていないんだ」

しかし、そうかといって、それほど気にすることもなく、

そんなものかと思っていた。

 

それからまた、数十年が経った。

空き地はまた変わっていた。

大きなアパートが経っていた。

敷地いっぱいに、茶色いアパートが建てられ、

アスファルトの駐車場も完備されていた。

そして、あの舗装されていない道路は、

きれいにアスファルトが敷き詰められていた。

 

おそらく、あの道路は私道だったのだろう。

だから長い間、舗装されていなかったのだろう。

そして、アパートのために、いよいよ、

舗装されたのだろう。

なぜかその時、一抹の寂しさを覚えた。

思い出深い、空き地のアパート化ではなく、

細い道路の舗装化、にである。

 

空き地がアパートになった時、

ともかく分割されなかったのだと思った。

切り売りして、全く知らない人のものとなり、

ちりぢりになったのではないことに、

安堵した。

もしかして持ち主が変わったとしても、

それが確定しない限りは、自分の中で、

空き地は形を変えただけだと、

思っていられると考えた。

 

しかし、隣接する道路は違っていた。

舗装されたことで、

明らかにそれは私の中の、

思い出の道路ではなくなっていた。

矛盾するようだが、

そう思ったのだ。

 

舗装前の道路。

それは、いつもでこぼこと穴が出来ていた。

雨が降ると、大きな水たまりが出来て、

時々靴を濡らした。

冬の朝は氷が張って、

それを靴でパキンと割るのが楽しかった。

落とし穴も作った。

どんつきの自分の家につながる、

自分や近所の人たちのもの。

それがその道路だったのだ。

空き地はあくまでも、

よそさまのもの。

でも、道路は違っていた。

それは大手を振って通ることのできる、

私達近所の住人の共有物のようになっていたのである。

そして、それが舗装されてしまったということは、

一般道のように、近所の者だけのものではなく、

アパートや他の人たちが使うものになったということ。

それがなぜか寂しかったのだ。

 

すでに引っ越して、別の家に住んでいるというのに、

その、舗装されていない道路を見るたび、

なぜか心が和んでいたのだ。

「ここだけは、変わらない。

まるで時間が止まったように、

周りの田んぼが宅地化されても、

この道路は、子供の頃のままだ」

と安心していたのである。

 

そして、その道路がアスファルトに舗装された。

ほかの一般道と同じ様相になったのである。

まるでひとつの時代が終わったかのような

気分になったのである。

 

時代は変わる。

それは分かっている。

でもどこかでそれを受け入れ切れていない自分もいる。

それを、「変わっていくんだよ」

と突き付けられたような気がする。

 

たかが、道路の舗装化でそんなことを考える。

楽しかった子供時代を思い出す。

そんな私なのである。