先日聞いた、私にとっては寝耳に水の驚きの話。
月2回の頻度で通っている生け花のボランティアだが、
いつもお花を持ってきて指導もしてくださる師範の先生が、
この1学期を最後に引退しようと思っているのだそうだ。
一緒にボランティアをしている方から聞いた。
どうしてそんな気持ちになったのか、
はっきりしたことは分からないが、
以前から「体力の問題」とか、「辞めようと思う」とか、
いろいろ言われていたので、
ついに、ということなのかもしれない。
昨日たまたま娘の忘れ物を取りに行き、
最後までいなかったので直接お話を聞けたわけではないので、
微妙なニュアンスは分からないが、
それでも私には十分に衝撃的なお話だった。
確かにいままでも「辞めようか」という言葉は、
何度も言われてはいた。
それでも、具体的な日程は聞かなかったのだ。
それが今回は「この1学期でやめようと思う」と、
具体的な期日を言われたので、
少し現実味を帯びている気がしているのだ。
思えば、私からお声をかけさせていただいたのが、
きっかけだった。
お花に興味があった私が、
たった3か月の生け花のレッスンに通っただけの素人が、
なん十年も職業として指導してきた師範の先生に、
「お手伝いさせてください」などと声をかけて、
ここまできたのだ。
アラウンド80歳。
私の父と同じくらいの年代の師範に、
無理を言えないのがつらいところ。
ボランティア仲間の方と、
今日はいろいろとお話をした。
今の師範の先生の、のびのびと生けさせてくれる方針だから、
いままで楽しくやってこれたねと。
もし今の師範の方が、別の師範の方に代わったとしても、
こんなふうに楽しくできるかどうか分からないねと。
どんどん指導を入れる先生なら、
レッスン色が強くなるので、
のびのびとはいかないだろうし。
そして、どうやったって、
今の師範の方と同じようには、いかないのだと思う。
師範の方は読書ボランティアもずっとされていたが、
それもこの1学期でやめられるそうだ。
だんだん、人が減っている読書ボランティア。
また一人減ってしまうのかと思うと、残念だ。
私が最初に入った時からいらした師範の先生。
お優しくて情が深くて、でも頼りになる師範の先生。
出来るなら、生け花も読書も、すべてのボランティアを、
ずっとずっとこのまま、一緒に続けていきたいと思っていたのに。
そういえば、昨年限りでやめられた読書ボランティア仲間の方は、
15年間続けていたと聞いた。
子供さんがいる間は続けていきたいと言っていて、
昨年の卒業を機に、読書ボランティアも卒業されていった。
その方とは子供が同じ幼稚園だったこともあり、
親しみを持って、いつもたのしくお喋りしていたのだ。
今はもう、会うことはなく、
思い出だけが胸に残っているだけ。
偶然だが、生け花の師範の先生も、
15年前からボランティアを始められたそう。
そんなに長い間続けるなんて、すごいとして言いようがない。
でももしかしたら、「気が付いたら15年だった」
という感じなのかもしれない。
私も小学校のボランティアを始めて、
もう6年目に入っている。
次女があと2年以上通うので、
まだもう少し、ボランティアを続けたいなと思っている。
最近ようやく読書ボランティア以外のボランティアの方と、
交流が持てて、お話が出来るようになってきたところなのだ。
そう思うと、別れがあり、出会いがあり、
また別れがあり。
そしてまた、新たな出会いがあるのだろう。
子供の頃からの泣き虫で、
大人になって、母になった今でも、
やっぱりそれは変わりそうになく、
別れの予感がこうして訪れると、
パソコンの画面がにじんでしまう。
あーあ。
よわっちいな、わたし。
でも仕方ないか。
わたしだもんな。
しょうがない。
私ではどうにもならないことは、
受け入れて、そこから何を学び取るのか。
そこからなにを成長させられるのか。
この別れを生かすも無駄にするかも、
要は私次第なのだから。
唇をぎゅっと、かんで、
背筋をぐっと、空にむかって伸ばして、
私に出来ることをこれからも、
やっていくしかないのだ。
初夏は別れの季節じゃないのにな。