冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】アリとキリギリスの話

いつ、どこで、見かけたのかは定かではないが、

「アリとキリギリス」の話の続きを読んだ。

 

一般的な話はこう。

アリは夏の間一所懸命に食べ物をためている。

キリギリスは歌って踊って過ごしている。

冬になって、キリギリスが困り果てる。

キリギリスは、アリに食べ物を乞う。

 

私が見かけた、話の続きはこうだ。

 

冬が終わり春になった。

アリはいつものように、せっせと食べ物を集めている。

そしてキリギリスは、得意の歌と踊りと演奏をしている。

アリはそれを見て、楽しませてくれてありがとうと言う。

 

この寓話の教訓としては、通常、

勤勉を良しとして、刹那を悪しとしている。

地道に積み上げることこそが尊ばれ、

その日暮らしの楽しさを重視することを戒めている。

私はその教訓を、あまりにも当然だとして受け止めていた。

 

ところが、新たに見かけた「その後の話」を見た時、

最初は信じられなかった。

「キリギリス的な生き方って、良くない、

って、話じゃなかったのかよ?」

と思ったのである。

 

そして、こうした「従来とは違った価値観」を知るという意味で、

「本当は怖い童話」など、

奥深いなあと思っていた。

 

考えてみると絵本とは、結構、

辛辣だったり、恐怖だったりする。

ふんわり優しいものばかりではない。

中には、そういう平和なものもあるが、

わりときついものも多いのである。

 

それは、当然と言えば当然だ。

昔は食べていくことこそが最重要課題であり、

それを達成するためには、

なんとしても自分の食べ物を

確保しなければならなかったのだから。

どんな手段を使ったとしても。

それは現代の平和な中では、

理解しがたいものだたとしても、

生きていくためには、

どうしても仕方がなかっただろう。

 

そういう目で見ると、

「キリギリスは、人々を楽しませてくれたからいいやつ」

などという話の流れは、

ある意味では昔の話としては、

斬新なような気がする。

食べ物もらって、そのお礼に、

歌と踊りと演奏、って。

お腹膨れないじゃーん、

などと思ってしまう私。

でもこれこそが、

「多様性って、そういうこと」

だと言われているようにも感じる。

 

童話って、奥深い。

子供向けだから軽く見がちだけど、

我が子のために読んだ絵本で、

泣けてくるものって、結構ある。

なんだかんだで、いいものはいい、

ってことなんだろうと思う。

 

そういえば、もうひとつ、

気になるものがある。

寓話ではないのだが、

自分の知らなかった、

「続きの言葉を知って考えさせられた」系のもの。

 

井の中の蛙、大海を知らず」

っていう、有名な言葉。

ずっと、

「狭いところにいると、視野が狭くなる」

的な、どちらかというと、

否定的な意味で捉えていたのである。

ところが、これも続きを知って、

見方が変わった。

続きの文章はこうだ。

 

井の中の蛙、大海を知らず。

されど、天の高きを知る」

つまり、狭い世界で生きていると、

視野が狭くはなるけれど、

代わりに、狭い世界を奥深く知ることになる、とのこと。

 

ああ、なんてこった。

そんな教訓があったなんて、

知らなかったよ。

ただ単純に、狭い世界にいてはだめだよ、

広い世界に行きなさいよ、

だと思っていたよ。

 

昔の職人さんとか、

そうなんだろうなと思う。

その道、ウン十年、とかだと、

もう、おそらく、世間一般の事とか、

知らなくても生きていけるような気がする。

だって、その道で食べて行けるのだから。

そして、そういう人は、

その狭い世界で、その技術の奥深いところを目指して、

精進していくのだろうなと思う。

それは、そんな世界を知らない私からすると、

ちょっと憧れる世界ではあるなと思う。

 

いつだったか、実家の父が、

「おまえたちは素人だから気づかないだろうけれど、

こんな仕上げをしていたら、笑われる」

と言っていたことがある。

家を設計、建築する職人だった父は、

プロだから、いろいろ思うところがあったんだろうなと思う。

今にして思えば、

いろいろな格言を聞かせてもらって、

ありがたかったなと思う。

 

「アリとキリギリス」にしても、

井の中の蛙」にしても、

分かった風に思っていて、

実際はあまりよく分かっていなかった、

ということは、あるのかもしれない。

 

なんとなく身に着いていた知識で、

「もう、知っている」

などと、勘違いしていることがあるのかもしれない。

そう思うと、今の自分が、余りにも未熟だなと思う。

 

しかしまた、

そうした話の続きがあることを知ったことで、

「まだまだ、自分の知らないことがある」

と謙虚になる気持ちもある。

どちらも自分の正直な気持ちである。

 

まずは、知らないことがある、と気づくこと。

そして、それを知ろうと、努力すること。

そのためには、少しずつ、積み上げていくということ。

 

そうして、自分のなりたい自分に、

近づいて行けたらいいなと思う。