冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ボランティア】休む、という選択

ボランティアを休んだ。

本当ならばボランティア2つ、

行っているはずだった。

 

1つは、おととい、ボランティア担当の先生に

「出来れば来てください」

と頼まれた、朝イチからの家庭科の縫物の補助のボランティア。

 

もう1つは、放課後にある、いつも行っている算数のボランティア。

 

休んだ理由は、

体が重たかったからだ。

 

実家の両親のコロナの後遺症だのなんだのとで、

9月になってからもジムに行けない日が続き、

「今日はジム行きたい」

と思っていたので、

朝イチの家庭科のボランティアは

わりとすぐに、休みを決めた。

 

先生に、出来ればお願い、と言われたものの、

あまり無理をして行かなくてもいいのではないか、

との判断だったのだ。

 

この家庭科のボランティアは、人がいる時は余るほどいて、

いない時は人手不足を感じるほどいない。

だから、先生のお願いは、人手不足かな、とも思ったのだ。

 

けれど、月曜日も木曜日もボランティアで、

その隙間をぬってのジムと畑仕事。

しかも、8月末からのバタバタで、

体は疲労をぬぐえずにいる。

寝ても寝ても、微妙に残る疲れが、

次第に心の余裕までも、

駆逐してしまうような気がしている。

 

だからと言って、何か気分転換をと思っても、

専業主婦がそんなに散財できるわけもなく、

結局、テレビを観たり、本を読んだり、

そんな感じでごまかし、ごまかし、

やりすごすしかないのだ。

 

そうして色々考えた時、

「頑張りすぎて、倒れないうちに」

ボランティアを休もうと思い至った。

 

もう一つの算数のボランティアの方はというと。

ちょっと無理したら行けるかも?

と思ったりしていたのだ。

次第に顔見知りも出来て、なんとなく楽しく、

しかも小学生は無邪気に笑顔を見せてくれ、

私に元気と活力をくれる。

 

「よいっしょ!と体を持ち上げて、算数ボランティア、行ってみようか?」

とも、思ったりもした。

元気、もらえるかもしれんしな、と。

そして、頭でシュミレーションしてみた。

算数ボランティアに行った私を。

児童をわちゃわちゃして、楽しく過ごしている私を。

ああ、楽しそう。

そう思った。

 

しかし。

ボランティアから帰宅したら15時半。

そこから買い物。

そのあと、二人娘とお菓子を食べて、16時半か17時から、

市民農園にて、畑仕事。

 

出来る?

畑仕事。

草ボーボーの中、せっせと鎌で草刈りをしなくちゃいけない、畑仕事。

自転車で小学校に行って、帰って、

畑仕事用の服に着替えて、暑い中、草刈り。

そんな気力、ある?

 

答えは、NO!でした。

 

多分、ボランティアで疲れて、

「疲れたー、今日は畑仕事パスー!」

というのが関の山です。

でも、昨日。

畑に行って、ナスビの枯れた実を20個ほども廃棄したばかりではないですか。

草刈りはともかく、水やりをしなければ、

また同じことの繰り返しになる。

5月に植えて、ようやく実を結びつつあるナスビ。

それを無駄に出来るのか?

と考えた結果、今日の私はボランティアより、

畑仕事を優先することに決めたのだ。

 

なにごともそうだが、

すべてを解決できるウルトラCは、

そうそう思いつくものではない。

そんなスーパーウーマンでもない私には、

「今一番、大切なのは何か?

今一番、大事に思っていることは何か?」

を考えて、それを優先していくしか

ないように思う。

 

そうして出した答えが、

はたから見て、大正解、とはならなかったとしても、

明日の自分がまあまあ納得できる形ならば、

「自分的には及第点」

だと思うのだ。

 

自分の気持ちに正直に、

やりたいことを増やしていった結果が、

今の自分なんだと思う。

 

仕事にまい進する時期があり、

恋愛を重視する時期があり、

子供を最優先する時期があり、

趣味を楽しむ時期があり。

 

それぞれに、その時々に、自分の大切なものを守り、

自分が良しと思うのであれば、

それがたとえどんな形にせよ、

正解なのではないかと思うのだ。

 

今の自分を楽しんでいるか?

今の自分を納得できているか?

そして。

それは周囲の人たちも、

笑顔でいてくれるものなのか?

 

そんな風に考えて、

今の私は生きている。

自分一人の小さな人生の中に、

たくさんの人の愛情がたくさん詰まっている。

だからこそ。

誰かのせいにしたり、

誰かを叱ったりしたくないからこそ、

自分の行動は、自分で決めていきたいと思っているのだ。

 

今日。

2つのボランティアは、休んだ。

それでも、また。

行ける時には、行きたいと思う。

たとえ皆勤賞でなくても、

出来るだけ行くことで、

努力賞くらいには、

思ってもらえるのではないかと思っている。

 

健やかなる時は、ボランティア出席。

健やかならない時は、ボランティア、ちょっとお休み。

そんなかんじで、ぼちぼちの活動。

でもそれが許されるのも、ボランティアの良さなのだ。