冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】「あり活」その後

半年ほど前に始めた、

「ありがとう活動」、略して、「あり活」。

ワンオペ育児で、自分の事でいっぱいいっぱいだった私が、

一念発起して、「あり活」を始めたことを

当ブログでお知らせしたのは半年ほど前のこと。

あれから、どうなったのかという事をお話しようと思う。

 

近所のスーパーに食材を買いに行くのを、

ほぼ日課にしていた私にとって、

レジの方に「ありがとうございます」

というのは、最初はちょっと、

恥ずかしい気持ちがなかったわけでもない。

今までのワンオペ育児のささくれた心は、

いつもだいたいぶっきらぼうで、

日によっては、とげとげした態度の日も、

あったのではないかと思う。

 

レジに並んでいる時に、

娘が1歳、2歳の時などは、

カートから身を乗り出して、

あぶなっかしく、

早くレジをしてほしいのに、

前にいるおばちゃんとレジの方がおしゃべりなどしようものなら、

「はよ、してくれー」と念を送ったことも、

一度や二度ではない。

別にレジの方にうらみがあるわけでもなく、

ただ単にワンオペ育児がしんどいので、

ちょっとでも手間を減らしたく、

周囲に、とげとげしていただけなのだ。

 

それでも周囲の人は迷惑だったのじゃないかと、

すこーし育児にも余裕時間が出来て来た最近は、

そう思ったりもする。

 

さて、そんなこんなでささくれていた私が、

「あり活」することでどうなったのかというと、

なんと、ささくれ、ひねくれ、が鳴りを潜め始めたのだ。

もちろん、すぐに、聖人君子になれるわけもなく、

相変わらず、言うことを聞かない時の娘達への注意は、

単なる怖いおばはんのまま。

でも少なくともお店のレジの方に対しては、

ずいぶんお行儀が良くなってきたように思う。

 

実家の母が言うには、

「それ、普通でしょ?

ありがとう、言うくらい」

だそうですが。

こちらは余裕がないのでね、

これでも随分頑張った方なのだ。

 

そして、意外だったのが、

「あり活」をし始めると、それが習慣化して、

だんだん当たり前になっていったということ。

これは発見だった。

当然と言えば当然なんだが、

今までが今までなので、

正直驚いた。

まるでチェーン店のマニュアルにあるかのように、

口からすらすらと、お礼の言葉が流れてくる。

そしてだんだん、気恥ずかしさもなくなり、

当たり前、になっていった。

 

さらに、「あり活」を続けていって変わったことがあった。

それは、周囲の方の、私への対応の雰囲気。

今まではごく普通に、たまにはいいこともあり、

たまには、つんけんした人にからまれて、

いろいろあったのだが。

最近は、本当に、変な人に絡まれなくなった。

 

例えば、ちょっとぶつかりそうになって、

「なにやってんの!」と言う態度をとる人とか。

お店の店員さんの態度が、すごく横柄だったりだとか。

そんないやな気分にさせる人が、

みるみる減ってきたようなのだ。

べつに統計を取っているわけでもないのだが、

明らかに、減ったように感じるのだ。

 

これは、どうしてなのか?

どうして、問題行動の人が周りにいなくなったのか?

 

自分なりに考えてみた。

そして出た結論は、

「私の雰囲気が変わったから、じゃないの?」

だった。

 

例えば、土佐犬のような強そうな犬と、

ゴールデンレトリーバーのような大人しそうな犬と、

周囲の人のかかわり方は、違うのではないかと思う。

どちらがいい悪いではなく、

強そうな犬には、こちらも気を張って交流するし、

大人しそうな犬には、わりとリラックスして交流するだろうし。

こちらの気持ちの前に、どういう気質の犬かで、

こちらが変わるのだと思うのだ。

 

これを私に当てはめると。

いつも余裕がなくてイライラしている私だと、

周囲もとげとげしてくるだろうし。

いつも感謝の言葉を発している私だと、

周囲も優しくなるだろうし。

とまあ、そんな感じかなと。

 

そういえば、似たようなこと、あった。

それは、主人とのかかわり方。

私がいらいらした時、

とげとげした言葉を発すると、

主人も同じように

いらいらを返してきます。

当たり前と言えば、当たり前の事。

人と人との交流はやはり、

テニスの壁打ちのようなもの。

強く打てば、強く帰ってくるし、

弱く打てば、弱く帰ってくる。

あらためて、すべては自分次第なのだと

思わずにはいらない。

 

「習慣が最強」

と言う人がいるが、

それは本当かもしれませんね。

今ではすっかり、

「あり活」も、習慣になってきた。

むしろ、そうしない方が、

ちょっとそわそわするような。

そんな感じ。

 

いつもどんな時も、

自分の生活をデザインすることは出来る。

忙しくても、余裕がなくても、力が出なくても。

肝心なのは、出来ない理由を探して納得することではなくて、

まずは小さくてもいいから、始めること。

そこから全てが始まっていく、

そんな気がしています。

小さな一歩を、私から。

やがて大きくなると信じて。