冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】強気な人言い分

いわゆる「一人ジム」を3年以上前からしている。

そこは人生の大先輩方の取り仕切る場所であり、

なんとも、人生勉強という名のしつけをおおせつかって、

いろいろ苦労、、、いやいや、学ばせていただいている次第だ。

 

特に力がいったのが、感情的になる方の存在。

私は実家の母が80歳近いのだが、

今まで一度も怒ったところを見たことがないくらい、

おだやかな、でも肝っ玉タイプの母でして、

世にいう「おばちゃんパワー全開」という

タイプの方に慣れていないので、ちょっと苦手だったりする。

 

感情的に来られても、それが正論ならば、

「そういう理由なら、こちらが落ち度があり。

その怒りはごもっとも。すみません」

となるのだが、

たいていの場合、

「その理由くらいで、そのレベルの怒りを爆発させますか?」

という理不尽なことも多く、

「いやはや、どうしたものか」

と途方にくれることもしばしば。

 

一人ジムのコツとしては、

さらっと流して、出来るだけ、

こちらは感情論にならないように、

相手のペースに飲まれないようにとするのだが、

たまには、

「どうして、そこまでっ!」

という気持ちが起きなくもない。

 

世の中にはいろいろな方がいるので、

仕方がないっちゃあ、仕方がないのだが、

困ったものだなと思ったりもしていた。

その人はそういう生き方をしてきたのだと思うしかない、

と自分で納得できる理由をつけて、

おりあいをつけてきた。

 

ところが。

先日、感情的によく怒る方の話がたまたま耳に入ってきた。

それは、エアロの順番待ちの行列に並んでいた時の事。

相変わらず、一人で読書タイムをしていたので、

私の存在は、みんなには空気みたいなものなので、

気にせずがんがんお喋りされていた。

私は聞くつもりはないものの、

その方の声はものすごくよく通り、しかも大きいので、

いやがおうにも聞こえてしまった。

 

それによると、どうやらその方の、その怒り方は、

他の人の影響を受けての面もある、

ということみたいだ。

 

どういうことかというと。

「前はすっごい怖い人がいたんよ。

もう、すっごい怒ってきていたんよ。

私なんか、すごく怒られて、

怖かったんだから。

いまでいうパワハラみたいな感じよー。

もう、すごかったんだから」

とのこと。

 

その怒り具合は、以前いたであろうその方の方がよほど

怖かったのだろうと想像できたが、

現在ジムにいる感情的に怒る方も、

わりと気分屋で、わりと怒っていたりする。

少なくとも、ジムに入りたての頃の私は、

その方がちょっと怖かったりもした。

 

でも結局。

以前怒られたことがあるから、

思わず自分もしてしまうのかもしれないね。

そんなことはしてはいけない、

感情的に怒ってはいけない、

自分は嫌な思いをしたから、

自分はしてはいけない。

そう思っていても、

頭と行動は時として矛盾するものだから、

思わず怒ってしまうのかもしれないね。

 

今回のこのお話を耳にして、

「人の行動には理由がある」

というのが、すこし実感できた気がする。

もちろんどんな理由を持ってきても、

感情的に怒るのはNGだが、

少なくとも、そういう過去の理由があるならば、

少々胸のもやもやが少なくなる気がした。

 

本来は、人の振り見て我が振り直せ、

のはずなのだが。

なぜか、朱に交われば朱くなる、

となってしまったのは残念だね。

 

なんて、人のことを批評している私だが。

他人様に怒ることはほとんどないが、

家族、特に子供に対しては、

しょっちゅう、「早くスイッチやめなさーーーいーーー!」

と怒っているのもまた事実。

なんて器の小さい私。

とほほだな。

でも少なくとも、

「自分は器が小さいぞっ!」

と自覚することは必要かなと思っていたりしている。

 

どんなに様々なことを学んでも、

知識として得ることが出来ても、

思考力がしっかりと構築されても、

愛情あふれる態度がとれても。

やはり、人生はずっと勉強なのではないかなと、

思ってしまう今日この頃。

それは、図書館で本を借りてきて、

いくら本を読んでも、

数か月に一回くらいは、

「こういうことか、知らんかったー!!」

というような、自分の未知の世界や情報があることを知り、

よのなかの広さを実感しているから。

それが残念と言うよりは、

むしろ面白いと思えて、

「世界はなんて驚きに満ちているんだろう。

まるで、汲んでも汲んでも尽きることのない、

大海の水をみているようだ」

と感じているのです。

 

完璧な人などいない。

それは、自分を含めて。

ならば出来るだけ優しく、

生きていきたいと思う。

きっとそれは驚きに満ちた、

わくわくとした世界だから。

生きるって、楽しいのだから。