冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ボランティア】生け花ボランティアで菊を生ける

今週の月曜日、いつもの小学校の生け花ボランティアに行ってきた。

今回も小菊を中心としたもので、秋らしいお花がそろった。

 

 

こちらは1つ目に生けたお花。

赤い実の枝物を真にして、小さめの菊をあしらった。

クリーム色、黄色、オレンジ色と、暖色系をまとめ、

全体的におうとつを付けた。

前回と同様に、メインとなる目立つお花は入れず、

あくまでも素朴なお花を中心に、華やかさを目指した。

近くで見るとそれなりに華やかだったが、

あとで遠目に見ると、ちょっと地味かな?という印象を持った。

でもそれが残念なことかと言うと、私自身はそうでもなくて。

それなりに、それなりに。

お花を楽しんでいけるという、私が本来目指しているものに近いかなという、

そんな気持ちになった。

まあ、目立つお花は、それはそれで、

面白かったりもするのだが。

 

 

お花屋さんに持ってきてもらったお花の束を、

今回は私が担当して生けさせていただいた。

お花屋さんの束は、大体が玄関用なので、

ちょっと気合を入れて生けた。

枝物を背に、白いストックとオレンジのカーネーションが色を添え、

存在感のある濃い紫のドラセナで足元を締めた。

 

枝物は高さがかなりあったので、どうしようかと思案し、

師範の方の助言で、かなり思い切って短くした。

そのあと、ドラセナの扱いにい手を焼いていると、

師範の方が、外側の葉を数枚はがしてくれ、

こじんまりとしたものを、足元に生けてくださった。

なるほど。

思わずうなる、的確な処理。

私はどうしても、あるがままに生けようとするのだが、

時には思い切って処理することで、

まとまるものなのだなと、また今回もひとつ、

学ばせていただいた。

 

そのあと、ストックとカーネーションの配置が決まらないのを、

師範の方のほんのちょっとの手直しで、

劇的にまとまるものにしていただいた。

まぜ、こんなふうに生けられるのか。

本当に不思議ですが、本当に素敵だった。

 

 

今回も余ったお花を頂いて帰った。

赤い実は「赤茄子」の実だそうで、

うっそー?と言うほど、自分の固定概念の茄子とかけ離れている。

枝物の山茶花は、最初はお花が付いていたのだが、

生ける時に落ちてしまい、現在はつぼみが一つついているだけ。

それでも「さざんかのお花」ということで、

季節感が出るのがいいだろうと思い、

中心にすえることにした。

ピンクとクリーム色の菊に押されて、

少々存在感が少なくなってはいるが、

きれいな緑色のてりのある葉は、

やはりここに必要だなと思った。

 

 

今回は娘達にも生けてもらった。

前回、次女が自発的に生けてくれた時と同じように、

ざぶん、とバケツに入れて、

「はい、どうぞ」

とやってみました。

声をかけると長女も乗り気になったので、

二人で仲良く生けてくれた。

 

 

花瓶もすべて用意して並べた。

次女のお気に入りの花瓶を長女が先に取ってしまっていたので、

次女は仕方なくその他のものを使った。

「もうちょっと用意しておけばよかった」

と少し後悔してしまったので、次回までには、

いくらか増やそうかと思っている。

花瓶は、大きさも大事だが、

入れ口の幅によって、入る花の量が変わってくるので、

それも考慮して次回は買い足そうと思う。

 

 

娘たちの生けたものがこちら。

左の二つが長女、右端が次女のもの。

長女は白い菊がお気に入りで、

いくつもまとめて生けていた。

白い菊とピンクのバラがほどよい調和で、

かわいいなと思った。

中心の白い菊のみのものは、

私としては何か色を入れたいと思うが、

素朴を愛する長女は、こういうのが好きなのだと思った。

生け方にはその人の個性が出るので、

長女らしいなと思った。

 

右端の菊の盛り合わせは次女のものだが、

なかなかどうして、華やかにいけられているなと、

親ばか全開で思っている。

枝物やバラなどにめもくれず、

ひたすら菊を入れまくった、

いさぎよい作品だと感じた。

奇をてらわず、まるっこくまとめたかわいい生け方だなと思った。

 

小学校で生け花のボランティアを始めて、

早一年以上が経った。

その間、実家に持って行ったり、

娘たちに生けてもらったり、

自宅を花瓶に生けたお花で飾りまくったり、

いろいろ楽しませていただいている。

 

最初はただ単に、

「生け花にかかわりたい」と言う気持ちだけで、

師範の方の助手をかってでただけなのだが、

いつのまにか、お花を頂き、

それによって日常生活の中に、

生け花が溶け込んできた。

そして庭に植えたバラが思いのほか大活躍し、

そっけなかった玄関やトイレやリビングに、

彩を与えてくれた。

 

私が何よりうれしいのは、

これらが「いただいたお花」であるということ。

お店で購入すれば、もちろんすぐに、

お花は手に入る。

でもそこに物語はほとんどない。

でも、いただいたお花には、物語がある。

たいていは、お花を持ってきてくださる師範の方の、

「今は秋だから、菊ばっかりなのよねー、うちの畑のお花はー」

という何気ないもの。

それでもその物語を聞くのが、

私はとても好きなのだ。

 

実家の母も、二人娘たちも、そして私も。

そうした季節の彩を、師範の方の物語とともに、

楽しませていただく。

ありがたいことだなと思う。

いつか機会があれば、私も今度は「物語をかたる側に」

なれればいいなと思っている。