今週の月曜日、いつもの小学校の生け花ボランティアに行ってきた。
今回も小菊を中心としたもので、秋らしいお花がそろった。
こちらは1つ目に生けたお花。
赤い実の枝物を真にして、小さめの菊をあしらった。
クリーム色、黄色、オレンジ色と、暖色系をまとめ、
全体的におうとつを付けた。
前回と同様に、メインとなる目立つお花は入れず、
あくまでも素朴なお花を中心に、華やかさを目指した。
近くで見るとそれなりに華やかだったが、
あとで遠目に見ると、ちょっと地味かな?という印象を持った。
でもそれが残念なことかと言うと、私自身はそうでもなくて。
それなりに、それなりに。
お花を楽しんでいけるという、私が本来目指しているものに近いかなという、
そんな気持ちになった。
まあ、目立つお花は、それはそれで、
面白かったりもするのだが。
お花屋さんに持ってきてもらったお花の束を、
今回は私が担当して生けさせていただいた。
お花屋さんの束は、大体が玄関用なので、
ちょっと気合を入れて生けた。
枝物を背に、白いストックとオレンジのカーネーションが色を添え、
存在感のある濃い紫のドラセナで足元を締めた。
枝物は高さがかなりあったので、どうしようかと思案し、
師範の方の助言で、かなり思い切って短くした。
そのあと、ドラセナの扱いにい手を焼いていると、
師範の方が、外側の葉を数枚はがしてくれ、
こじんまりとしたものを、足元に生けてくださった。
なるほど。
思わずうなる、的確な処理。
私はどうしても、あるがままに生けようとするのだが、
時には思い切って処理することで、
まとまるものなのだなと、また今回もひとつ、
学ばせていただいた。
そのあと、ストックとカーネーションの配置が決まらないのを、
師範の方のほんのちょっとの手直しで、
劇的にまとまるものにしていただいた。
まぜ、こんなふうに生けられるのか。
本当に不思議ですが、本当に素敵だった。
今回も余ったお花を頂いて帰った。
赤い実は「赤茄子」の実だそうで、
うっそー?と言うほど、自分の固定概念の茄子とかけ離れている。
枝物の山茶花は、最初はお花が付いていたのだが、
生ける時に落ちてしまい、現在はつぼみが一つついているだけ。
それでも「さざんかのお花」ということで、
季節感が出るのがいいだろうと思い、
中心にすえることにした。
ピンクとクリーム色の菊に押されて、
少々存在感が少なくなってはいるが、
きれいな緑色のてりのある葉は、
やはりここに必要だなと思った。
今回は娘達にも生けてもらった。
前回、次女が自発的に生けてくれた時と同じように、
ざぶん、とバケツに入れて、
「はい、どうぞ」
とやってみました。
声をかけると長女も乗り気になったので、
二人で仲良く生けてくれた。
花瓶もすべて用意して並べた。
次女のお気に入りの花瓶を長女が先に取ってしまっていたので、
次女は仕方なくその他のものを使った。
「もうちょっと用意しておけばよかった」
と少し後悔してしまったので、次回までには、
いくらか増やそうかと思っている。
花瓶は、大きさも大事だが、
入れ口の幅によって、入る花の量が変わってくるので、
それも考慮して次回は買い足そうと思う。
娘たちの生けたものがこちら。
左の二つが長女、右端が次女のもの。
長女は白い菊がお気に入りで、
いくつもまとめて生けていた。
白い菊とピンクのバラがほどよい調和で、
かわいいなと思った。
中心の白い菊のみのものは、
私としては何か色を入れたいと思うが、
素朴を愛する長女は、こういうのが好きなのだと思った。
生け方にはその人の個性が出るので、
長女らしいなと思った。
右端の菊の盛り合わせは次女のものだが、
なかなかどうして、華やかにいけられているなと、
親ばか全開で思っている。
枝物やバラなどにめもくれず、
ひたすら菊を入れまくった、
いさぎよい作品だと感じた。
奇をてらわず、まるっこくまとめたかわいい生け方だなと思った。
小学校で生け花のボランティアを始めて、
早一年以上が経った。
その間、実家に持って行ったり、
娘たちに生けてもらったり、
自宅を花瓶に生けたお花で飾りまくったり、
いろいろ楽しませていただいている。
最初はただ単に、
「生け花にかかわりたい」と言う気持ちだけで、
師範の方の助手をかってでただけなのだが、
いつのまにか、お花を頂き、
それによって日常生活の中に、
生け花が溶け込んできた。
そして庭に植えたバラが思いのほか大活躍し、
そっけなかった玄関やトイレやリビングに、
彩を与えてくれた。
私が何よりうれしいのは、
これらが「いただいたお花」であるということ。
お店で購入すれば、もちろんすぐに、
お花は手に入る。
でもそこに物語はほとんどない。
でも、いただいたお花には、物語がある。
たいていは、お花を持ってきてくださる師範の方の、
「今は秋だから、菊ばっかりなのよねー、うちの畑のお花はー」
という何気ないもの。
それでもその物語を聞くのが、
私はとても好きなのだ。
実家の母も、二人娘たちも、そして私も。
そうした季節の彩を、師範の方の物語とともに、
楽しませていただく。
ありがたいことだなと思う。
いつか機会があれば、私も今度は「物語をかたる側に」
なれればいいなと思っている。