冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】ゲリラ雨なり

昨日の雷雨に続き、本日も午後から、

ゲリラ雨が降ったりやんだり、降ったりやんだり、降ったりやんだり。

少なくとも3回は繰り返し、もうええやろーと、

漫才風のつっこみを入れたくなるほどだった。

そんな繰り返すこと、ある?

なんで一回で済まさないのよ?

洗濯物とか、困るじゃないのよ?

 

今日は日中は晴れていたので、朝から敷き布団を干し、

敷パッドを洗濯して干し、読書ボランティアとジムに行ってから、

それ模様を気にして、それらをすべて取り込んた。

それから数分と経たないうちに、

ゲリラ雨がわんさかと降ってきた。

それはもう、ざああーと言う効果音が聞こえるかの如く。

おかげで窓を閉めながらも、

「あ、雨がはいっちゃってる」

という感じで、ところどころで床に雨が入り込んでいた。

とはいえ家にいたのですぐに窓を閉めたので、

大事にはいたらず、ひとまず安堵。

いやはや、外出していなくて良かった。

 

その後、買い物に出かけようとしたら、電話がかかってきたり、

子供が帰ってきたり、また雨がざああーと降ってきたり。

完全に買い物(自転車で)のタイミングをのがし、

いつ雨が降るのか、もう降らないのか、

今から自転車に乗ってもいいものか、

空を凝視しながら考えている。

 

自動車を運転する生活なら、

こんなに悩む必要もないのに。

どうして運転が上手な人に生まれなかったんだろうと、

自分の不器用さに、ちょっと肩を落とし。

それでも仕方ないと腹をくくり、

もうそろそろ行かなきゃなと、

料理する時間が無くなるなと、

合羽を持参して自転車に乗る心づもりをしている。

 

でも考えようによっては、

毎日自転車に乗る生活だからこそ、

こうしてじっくりお天気について考えられるのかもしれないね。

なにもかもお膳立てされた生活ではないから、

あれこれ知恵を絞るのかもしれないね。

そう考えると、これもまんざらでもないのかもしれないね。

どしゃぶりでスニーカーがずぶぬれになるのを除けばね。

 

今日はジムから帰宅してすぐに、

洗濯機をまわしたので、ジムの水着は洗濯済み。

いつもは主人が、洗面所に干している私のジム水着を見て、

「今日も楽しそうだね」と楽し気に言うところだが、

今日はそうはいかないだろう。

主人の楽しそうなセリフを聞けないのは少々残念ではあるが、

それは仕方ないのだ。

 

でも、主人がそう言ってくれるのが、

ちょっと嬉しかったりする。

ただ私がジムで楽しく過ごしているだけで、

それが主人の楽しみにもなっているなんて。

そしてそれをちゃんと教えてくれるなんて。

もしかしたら私はえらいいい人と生活しているのかもしれない。

 

私は月に10冊は図書館の本を借りて読むのに、

主人は全く本は読まない。

たまに漫画を眺めるくらいだ。

主人はそろばん2段なのに、

私はそろばんを見るのもいやなほど苦手だ。

なにもかも正反対で、

「どうしてここまで正反対の人をえらんでしまったんだろう?」

と何度も思いましたが、人の縁と言うものは分からない。

お互いに「しゃーないね、この年だしね」

と半ばあきらめた選択の相手だったはずなのに、

いつのまにかどえらい良い選択だったように思えてくるから不思議だ。

 

もちろん、喧嘩もしますし、

あれはこーして、これはやめて、

とお互いへの注文は果てしない。

それでも最後は主人がボケて、私もボケて、

仕方ないから長女がつっこんで、

家族漫才をして、わははっと笑っている我が家。

なんやかんやで、もしかしたらまあまあ幸せなのかもしれない。

 

こんなこと書いていると、なんだかこそばゆい。

どうしてこんなことを書いたのだろう。

きっとそれは、ゲリラ雨のせい。

一日3回も降ってしまった、この大雨のせい。

ということにしておこう。

 

今日は朝は晴れていたので、

私の選んだ「着るとモモンガになる」合羽は、

主人は持って行っていない。

朝から雨が降っていたら、

合羽を着て「モモンガ飛び風」の動きを、

娘たちに披露していたことだろう。

しょうもない。

そのしょうもなさに座布団いちまい。

だって、楽しいんだもの。

洗練されたのでもない。

どちらかといえばダサいそのボケや動きが、

私にはとても平和な楽しさに見えるのだ。

やっぱり、私はそんなかんじだな。