ここのところ気になっていた夏野菜の苗を購入し、
借りている市民農園に一気に植えていった。
ナス、トマト、ピーマン、オクラ、カボチャの定番野菜に、
スイカ、まくわ瓜も植えてみた。
ただし、スイカとまくわ瓜は仮植えとし、
後日改めて、黒マルチを敷いた後で本植えすることにした。
それは雑草による養分の横取りを防ぐため。
スイカは浅い位置に根を張るので、
雑草をひっこ抜くとどうしても、
スイカの根を痛めてしまうのだ。
また、スイカは養分をしっかり与えた方が、
実がなりやすいように思うので、黒マルチをかけようと思う。
ナスなどは、スコップで畝に穴を掘り、
そこに自宅の庭にある植木の落葉を持ってきて入れ、
その上に市販の花と野菜の土を入れてから、苗を植えていった。
乾燥しないようにしっかりと土を抑えてから、
ジョウロでしっかりと水やりもした。
明日の午後から雨が降るとの天気予報を信じて、
後はお天道様の雨の恵みに期待している。
いつもは畝に5,6株植える苗を、
今回は4株に抑えた。
さらにいつもは出来るだけ、安価な実生苗を選んで購入するのだが、
今回はほとんど接ぎ木苗を購入して植えた。
というのも、昨年は6月に腰を痛めて入院したので、
今年は腰に負担をかけたくないので、
苗を少なくして手間を減らしたかったのだ。
苗の数が少なければ、その分、植え付けも水やりも支柱付けも、
手入れも少なくて済む。
そのためには、確実に実を付けやすい接ぎ木苗が助かる、ということだ。
以前は、「せっかく畑仕事をするなら、出来るだけ安く、出来るだけ自然に」
を目指していたところがある。
お店で有機野菜を購入するととても高いので、
出来るなら自宅でそれを育てたいと思ったものだ。
けれど一旦腰を悪くしている自分の体を思うと、
そんな理想ばかりを言ってはいられない。
今一番大事なのは、自分の理想の農業にしばられて体に無理を強いることではなく、
今の自分の体に応じた、適度な労力での畑仕事なのだと思うのだ。
無理をして体を壊して、畑仕事自体を引退してしまうのは、
本末転倒だ。
そんなことにならないように、前もってその予防線をはること、
それが大事だと思っているのだ。
市民農園に行く道すがら、たまたま知り合った畑仕事の顔見知りの人がいる。
私の実母より一回りほどお若いおばちゃんだが、
家の前を畑にしてあって、時々畑仕事をしていらっしゃるのだ。
いつもいつもお見掛けするので、ある日思い切って声をかけて、
ひとこと、ふたこと、会話をして、
それ以来たまに、会うと挨拶をして畑の近況を交換し合う間となった。
そのおばちゃんに今日もあったので挨拶をすると、
私の自転車のかごの中の夏野菜の苗を見て、
「全部接ぎ木にしたんだね」と言われた。
「昨年腰を痛めたので、今年は楽しようと思って」
と説明すると、おばちゃんは笑って、
「うちはキンウリ以外は全部実生なんよ」と教えてくれた。
でもその言い方がとても楽し気で、
実生だろうと接ぎ木だろうと、大して気にしていないその笑顔に、
なんだか救われたような気がした。
種から育てるのが一番良くて、
次は実生苗が良くて、
最後の接ぎ木は手抜き農業。
そんなふうに、畑仕事を自分で勝手にランク付けしていた自分の小ささに、
いささか、恥ずかしさも感じてしまった。
本当に畑仕事が好きな人は、そんなこと気にしないのかもしれない。
そんな小さなことより、
もっともっと、気にすべきことはほかにある。
なにより、まずは野菜を育てること。
それが何より一番大事なこと。
ああすべき、こうすべき、にこだわって、
いつまでも何も植えずに時を過ごすより、
えいやっ!と何かを植えてみる。
全てはそこから始まるような気がするのだ。
畑仕事は毎年毎年、一度として全く同じ状態などない。
体調が悪い時には無理をせず、
気が向かない時には、手入れの少ない芋類などとし、
周囲から飛んできた種で育ったシソをそのまま育ててみたり。
楽しくも大変さもあり、それがまた畑仕事の醍醐味だったりするのだろう。
なにもかもが便利になりすぎて、
普段あまり不便なことをしていない生活の中で、
長靴を履いて軍手をはめてエプロンを付けて、
夏には日よけ帽子をかぶり、
汗をかきかき草むしりと水やりの日々は、
時に、生きていくことの意味すらも感じさせてくれたりする。
私たちは生きていくために、食べ物を食べるのだと。
楽しいとか、美味しいとか、暇つぶしとか。
それもあるのかもしれないが、
一番の意義は、まぎれもなく、
生きていくために食べるのだと、
野菜を作っている時はいつも実感できるのだ。
お店で買った方が、形のいい、虫食いのない、大きい、
調理しやすい野菜が、場合によっては畑で作るより安く、
手に入れられたりする。
それでも、自分の体一つで作った野菜たちは、
お金で買った野菜たちとは違う意味を、
私に与えてくれるのだ。
だからこそ、私はやはり、畑で野菜を作っていきたいのだ。
自分の命を作るものを、自分の手で作っていきたいと思っているのだ。
さてさて。
今年もまた畑の水やり、頑張って行くかなーーー!