冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【畑】夏野菜の苗を植える

ここのところ気になっていた夏野菜の苗を購入し、

借りている市民農園に一気に植えていった。

ナス、トマト、ピーマン、オクラ、カボチャの定番野菜に、

イカ、まくわ瓜も植えてみた。

ただし、スイカとまくわ瓜は仮植えとし、

後日改めて、黒マルチを敷いた後で本植えすることにした。

それは雑草による養分の横取りを防ぐため。

イカは浅い位置に根を張るので、

雑草をひっこ抜くとどうしても、

イカの根を痛めてしまうのだ。

また、スイカは養分をしっかり与えた方が、

実がなりやすいように思うので、黒マルチをかけようと思う。

 

ナスなどは、スコップで畝に穴を掘り、

そこに自宅の庭にある植木の落葉を持ってきて入れ、

その上に市販の花と野菜の土を入れてから、苗を植えていった。

乾燥しないようにしっかりと土を抑えてから、

ジョウロでしっかりと水やりもした。

明日の午後から雨が降るとの天気予報を信じて、

後はお天道様の雨の恵みに期待している。

 

いつもは畝に5,6株植える苗を、

今回は4株に抑えた。

さらにいつもは出来るだけ、安価な実生苗を選んで購入するのだが、

今回はほとんど接ぎ木苗を購入して植えた。

というのも、昨年は6月に腰を痛めて入院したので、

今年は腰に負担をかけたくないので、

苗を少なくして手間を減らしたかったのだ。

苗の数が少なければ、その分、植え付けも水やりも支柱付けも、

手入れも少なくて済む。

そのためには、確実に実を付けやすい接ぎ木苗が助かる、ということだ。

 

以前は、「せっかく畑仕事をするなら、出来るだけ安く、出来るだけ自然に」

を目指していたところがある。

お店で有機野菜を購入するととても高いので、

出来るなら自宅でそれを育てたいと思ったものだ。

けれど一旦腰を悪くしている自分の体を思うと、

そんな理想ばかりを言ってはいられない。

今一番大事なのは、自分の理想の農業にしばられて体に無理を強いることではなく、

今の自分の体に応じた、適度な労力での畑仕事なのだと思うのだ。

無理をして体を壊して、畑仕事自体を引退してしまうのは、

本末転倒だ。

そんなことにならないように、前もってその予防線をはること、

それが大事だと思っているのだ。

 

市民農園に行く道すがら、たまたま知り合った畑仕事の顔見知りの人がいる。

私の実母より一回りほどお若いおばちゃんだが、

家の前を畑にしてあって、時々畑仕事をしていらっしゃるのだ。

いつもいつもお見掛けするので、ある日思い切って声をかけて、

ひとこと、ふたこと、会話をして、

それ以来たまに、会うと挨拶をして畑の近況を交換し合う間となった。

そのおばちゃんに今日もあったので挨拶をすると、

私の自転車のかごの中の夏野菜の苗を見て、

「全部接ぎ木にしたんだね」と言われた。

「昨年腰を痛めたので、今年は楽しようと思って」

と説明すると、おばちゃんは笑って、

「うちはキンウリ以外は全部実生なんよ」と教えてくれた。

でもその言い方がとても楽し気で、

実生だろうと接ぎ木だろうと、大して気にしていないその笑顔に、

なんだか救われたような気がした。

 

種から育てるのが一番良くて、

次は実生苗が良くて、

最後の接ぎ木は手抜き農業。

そんなふうに、畑仕事を自分で勝手にランク付けしていた自分の小ささに、

いささか、恥ずかしさも感じてしまった。

本当に畑仕事が好きな人は、そんなこと気にしないのかもしれない。

そんな小さなことより、

もっともっと、気にすべきことはほかにある。

なにより、まずは野菜を育てること。

それが何より一番大事なこと。

ああすべき、こうすべき、にこだわって、

いつまでも何も植えずに時を過ごすより、

えいやっ!と何かを植えてみる。

全てはそこから始まるような気がするのだ。

 

畑仕事は毎年毎年、一度として全く同じ状態などない。

体調が悪い時には無理をせず、

気が向かない時には、手入れの少ない芋類などとし、

周囲から飛んできた種で育ったシソをそのまま育ててみたり。

楽しくも大変さもあり、それがまた畑仕事の醍醐味だったりするのだろう。

なにもかもが便利になりすぎて、

普段あまり不便なことをしていない生活の中で、

長靴を履いて軍手をはめてエプロンを付けて、

夏には日よけ帽子をかぶり、

汗をかきかき草むしりと水やりの日々は、

時に、生きていくことの意味すらも感じさせてくれたりする。

 

私たちは生きていくために、食べ物を食べるのだと。

楽しいとか、美味しいとか、暇つぶしとか。

それもあるのかもしれないが、

一番の意義は、まぎれもなく、

生きていくために食べるのだと、

野菜を作っている時はいつも実感できるのだ。

 

お店で買った方が、形のいい、虫食いのない、大きい、

調理しやすい野菜が、場合によっては畑で作るより安く、

手に入れられたりする。

それでも、自分の体一つで作った野菜たちは、

お金で買った野菜たちとは違う意味を、

私に与えてくれるのだ。

だからこそ、私はやはり、畑で野菜を作っていきたいのだ。

自分の命を作るものを、自分の手で作っていきたいと思っているのだ。

さてさて。

今年もまた畑の水やり、頑張って行くかなーーー!