冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ボランティア】今年度最後の読書ボランティア

さて、昨日は小学校の読書ボランティアの日だった。

朝から絵本を読んで練習して、小学校に出かけて行った。

この絵本は先月、久しぶりに本屋さんをじっくり見て回って探したもの。

小5の長女のクラスに読みに行くにあたって、

なにかいい絵本はないかと、わりと本気モードで選んだ。

自分の娘のクラスで読むには、

自宅にあるものは「もう読んだことあるー」といった本ばかりで、

娘ウケがすこぶる悪いので、せっせと新しい絵本を購入することになる。

小学校で読む絵本を選ぶには、いくつかのポイントを考えて、

それに合うものを選ぶようにしている。

 

まずは、絵がきれいで、はっきりしていて、分かりやすい事。

たまに「芸術的な絵」とか、「デフォルメした絵」だとか、

そういう絵本がある。

私としては、個人的には、面白いなーと思う。

自宅で娘に読むにはいいと思う。

 

でも。

小学校の数十人に向けて読むには、少し分かりづらいのだ。

その個性的の絵を受け入れる児童ばかりではないのだ。

最初の「絵」の段階で苦手意識を持ってしまうと、

どうしてもお話が入りづらくなる。

教室の後ろの児童になると、さらに見づらくなってしまうと思うのだ。

だから分かりやすく、みんなが好きそうなものを選ぶ。

絵はとても重要なのだ。

 

次に考えるのは、テーマがしっかりしているか、

もしくは、無邪気に面白いか。

そのどちらかに属していたら、良しとしている。

 

数十人の小学生を前に絵本を読むと、

絵本好きじゃない児童は、

どうしても取り残されそうになる。

「絵本読んだから、何?」という顔をする児童もいるのだ。

低学年は少ないにしても、中学年、高学年になってくると、

みんな自分でいろいろ考えるようになるのだ。

そこへ、なんの起伏もない絵本を持って行っても、

お互いにやりづらいのだ。

児童は聞きたくないし、読んでいる私も退屈だし。

というわけで、何か一つでも、テーマがしっかりしているものを

選ぶようにしているのだ。

 

でも。

特にテーマがしっかりなくても、「とにかく面白い」のであれば、

それも良しとしている。

なぜなら、みんなが面白がってくれるから。

面白い絵本と言うのは、多少、その学年に対して幼稚な内容だったとしても、

わりと受け入れられやすいのだ。

みんな、面白いものは好きなんだね。

だから、私が「こりゃー、面白い」と思ったものは、

テーマがなくても「採用」としているのだ。

 

さて、それを踏まえて今回のこの本。

絵もしっかりしていて見やすいし、

テーマもはっきりしていて、分かりやすい。

「いい日って、なんだろう?」

そんなテーマの本なのだ。

主人公ダニエル君の周りをとりまく人たちの

「いい日」を聞いて回る、ただそれだけの内容。

特に起承転結と言った、ドラマはない。

ただひたすら、みんなに聞いて回るのだ。

 

でも、それがいい。

なんでもない日常に、なんでもない幸福を感じる人たちの、

その素朴さがなんとも微笑ましく、

読んでいて、ほっこりとしてくる。

 

二週間前に長女のクラスで読んだ時は、

最初はあまり反応がなかったものの、

徐々にみんながのってきて、

最後は楽し気な雰囲気になった。

 

昨日読んだクラスは、問いかけに反応はあるものの、

ちょっと、私の主張が長かったようで、

そこまでののりは無かったようだった。

クラスによっては楽しんでくれたり、

別のクラスによってはそうでもなかったり。

読書ボランティアは相手が児童なだけに、

こちらの思いどうりの反応がないのが、

難しかったり、でもそれが、やりがいだったりする。

 

長女の担任の先生は、

「いい本ですねー」を連発してくれて、

気に入ってくれたようだ。

長女のクラスの数人は、

私が「一週間、絵本を置いておきますね」と置いていった絵本を使って、

「読書ボランティアごっこ」をしていたそうで、

ちょっと照れますが、楽しんでもらえたようだ。

 

昨日、午後だったか、夕方だったか。

ふと、この絵本の読み方が浮かんできた。

「いい一日は自分の心が決めるのよ」とのテーマで、

小学校でお話をしたけれど。

もっと、いいたとえ話があったと、思ってしまった。

絵本の中に、「青空だからいい日」という文章があって、

それについて、いいたとえが出来なかった昨日の私。

でも、今なら違うことが言える。

 

「今日は青空だけど、それだけでいい日だと思うことは少ない。

でも、もしも今日が遠足の日だったらどうでしょう?

朝起きた時に、この青空を見ただけで、

今日はいい日だと思うのではないでしょうか?」

こんなたとえが頭に浮かんだのに、

時間は昨日、または二週間前、にはもう戻らない。

もどかしい気持ちだが、

もうどうしようもない。

かくなる上は、次に読むときのたとえとして、

心にメモしておくとしようかな。

 

私は時々、こんな感じ。

あとから、あとから、ああしておけばよかったと、

よく思うのだ。

それでも、きっと、何も思わないよりは、

それは楽しいことのはず。

少々残念だったとしても、

それもご愛敬というものだ。

それがすぐに言えるのは、おそらく、年の功と言うものなのだろう。

それもなんだか悪くないね。

 

好きな読書ボランティアを、好きなだけやっていく。

最近は少々、入院やら腰痛やらで遠のいていたボランティアだが。

やはり好きなものは好きなので、

細く長く、続けていきたいと思っている。

自分の人生は、自分が思い描いていく。

それが今の私の楽しみで、とてもわくわくしているのだ。