冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】優しいおばちゃん

 

先日の事。

ジムのスタジオに入ると、

いつも親切にしてくれる優しいおばちゃんが、

ちょっとあせったようにして近づいてきた。

「辞めたのかと思ったよー」

そう言って、私の顔を確認したあと、

安心したような表情をしていた。

 

どうやら私が小学生の二人娘の冬休み中に、

ジムを長期休みしていたために、

辞めたと誤解してしまったようだった。

 

「ほかの人がね。

いつも本を読んでいる子(私の事)、

この頃見ないね。辞めたのかな。

と、言っていて。

私もやめたのかと思って」

おばちゃんの周りの人が、

私が辞めた説をとなえたために、

おばちゃんがあせったようだった。

 

「子供が冬休みだから、休んでいただけですよ。

夏休みも、冬休みも、春休みも。

学校の長期休暇の時は、いつもジムを休むんです」

と説明すると、

「ああ」と安堵した顔をして、

なんだか柔らかい表情になった。

ひとまず事情を分かってもらえたので、

私の方も安堵した。

 

それにしても。

毎日一人でジムに行って、

スタジオでエアロをやって、

ささっと帰宅する地味な私。

たまに挨拶をされれば、

「こんにちは」というくらい。

優しいおばちゃんとは、

たまに世間話をすることもあるけれど、

それもめったにないこと。

誰ともしゃべらず、

誰とも挨拶もせず。

そんな日の方が多い、

このうえなく地味な、私のジム生活。

 

それなのに。

こんな風に、たかだか私のジム通いがなくなるだけで、

心を揺さぶられる人がいるだなんて、

どうして想像できるだろう。

私がジムを辞めたところで、

誰一人気づかないだろう、

とさえ思える影の薄さなのに。

むしろそれを当たり前にしている私なのに。

 

一人でジムをして。

一人で帰宅する。

その繰り返しの毎日の中で、

いつしか誰かの心に、

私の存在がしっかりと刻まれるだなんて。

ああ。

分っからないもんだなあ、人の心って。

どうして私のことなんて、気にしてくれるんだろう。

どうでもいい存在のはずなのに。

むしろ「どうでもいい存在」であろうとしていたのに。

 

優しいおばちゃんが、「辞めたこと思ったー」と、

あせったような顔をして言って、

「辞めていませんよ」と私が言った後、

おばちゃんがほっとしたような安堵の顔をするから、

何だか私までほっこりしてしまって、

エアロにも気合が入ってしまったじゃないかあああ。

ちぇっ。

柄にもなく。ですよ。

 

そういえば年末に、ジムの別のジムのおばちゃんが、

小さなチョコをプレゼントしてくれたっけ。

信販売で大袋で販売していた赤い包みのそのチョコは、

小さな包みに数種類のチョコがいくつか入っていて、

とてもおいしかった。

ジムの更衣室でみんなに配っていたようで、

そのおすそわけで私にも、

おこぼれがきたようだったが。

その時も、ちょっとだけ、

胸があたたかくなったっけ。

 

後日「チョコレートありがとうございました。おいしかったです」

と伝えると、満面の笑みで、にっかりと笑って下さった。

にっこり、ではなく、にっかり、だった。

それがとても素朴で、うれしかったのよね。

なんでもない小さな交流なのに、

今でもその時を思い出すと、

胸の中が暖かくなるから不思議。

小さな、小さな、できごとなのに。

 

3年前。

ジムに行き始めてから、基本的には一人。

一人で行って、一人で帰って、

勝手気ままなジム生活を謳歌している。

誰かに気を使い、誰かに気を遣われ、

などということもなく、

ぼんやりと時を過ごして、

自由気ままにしている。

 

自由と言えば、格好がいいけれど、

時にさみしさが横切る時もある。

でもそれは仕方がないことだと、

割り切ってやっている。

いつもはそんな感じなのだ。

 

でも、たまに。

こんな風に優しいおばちゃんやら、

チョコのおばちゃんやらに、

親切にされちゃうと、

なんだかいろいろ背伸びして無理をしている自分が、

なんなんだろうかと、

思えてきてしまう。

私は何に対して、格好をつけているのだろう、と。

一人ジムはさみしくないやい、

気ままで自由で素敵なんだい。

そう頭の中で思えば思うほど、

なんだかうそっぽい気がしてきて、

無理をしている自分がしんどくなっていくのだ。

 

ああ、そうか。

私は一人ジムを気ままに楽しむといいつつ、

まるっきりのひとりっきりには、

なりたくなかったんだなと、

ほんの少しだけ、気づいたのかもしれない。

所詮、格好つけたところで、

あんがい平凡に、

「たまには誰かとおしゃべりしたい」

なんて思っていたのかもしれない。

 

昨日、そんなことを思っていたら、

今日は、なんだかいつもより多くの人が、

「おはよう」と声をかけてくれた。

気のせいかもしれない。

気のせいじゃないのかもしれない。

どっちにしても、一つ言えるのは、

それがとても楽しいという事。

 

なんだ、一人ジムと言いつつ、

なんだかんだで、おばちゃんたちとのゆるい交流を

楽しんでいるんじゃないか。

私って、やつは。

私って、やつはもう。

めんどくさい事この上ない。

それでもそんな自分と、これからも付き合っていかなくてはいけないのだ。

仕方ないよね、それが自分だから。

 

明日からもぼちぼちと、一人ジムをしていく。

半分あきれながら。

半分楽しみながら。