冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ジム】苦手な人との接し方

さて、私のジムにいる、

「私がちょっと苦手だと思っている人」

について、書こうと思う。

 

その方は60代の方らしいのだが、

いつも、カラフルなウエアを着ておられる。

周りの方に「一体何着持っているの?」と聞かれた時、

「(別料金の専用の)ロッカーに5着入れて毎日着ているの」

と言われていた。

花柄や蛍光オレンジ、黄色、赤もくすんだ色も、

とにかく数多くのウエアを、着ておられる。

 

いつだったか、その人が濃いピンクを着ていた時、

「ピンクはないわよー」と周りの方に冷やかされていたのだが、

「年齢を気にしちゃだめよー」と涼しい声で言って、

全く気にしていなかった。

トップスもボトムスも、きちんとコーディネートしている姿は、

ある意味で「努力している」ともいえるが。

周りの方との雰囲気の違いに、

ちょっと違和感を覚える人も多いみたい。

決して変なわけじゃなく、むしろおしゃれなのだが、

一見すると、「20代の女の子」のようなウエアに、

ちょっと、たじろいでしまうのだ。

 

別に私は「他人のウエアは気にしない主義」なので、

それだけで苦手にはならない。

好きなものを好きなように着るのは、

女性の特権だとも思うし、

それで元気が出るならば、いいのだと思う。

ただ私が苦手なのは、その人が

「変に絡んでくる」からなのだ。

 

それは、どういうことか。

二年前、私がジムに行き始めたころ、

次女の幼稚園の人付き合いでいっぱいいっぱいで、

新たな人間関係を構築する元気がなかった。

でもそんな私に、その人は、なんだか

やたらと話しかけてきた。

 

「もっと前に来て踊ろうよ」とか、

「荷物は同じところに置こうよ」とか、

とにかく私に話しかけて、交流を求めてきた。

私の「真ん中あたりで踊りたい」という言葉はまるで気にせず、

どんどん、自分のテリトリーに引き入れようとするのだ。

 

あまりに、ぐいぐい来るもので、ちょっと疲れてしまい、ある時、

「私は子供が幼稚園に行っていて、ジムには気分転換に来ているので、

私のことは気にしないでください」

とお伝えした。

すると、「ふんっ!」と割と大きな声で言い放ち、態度が豹変した。

つんけんとした行動、殺気立った表情。

明らかにとげのある態度へと変わっていったのだ。

 

かと言って私は特に何もかまわずに、

一人で淡々とジムに通っていた。

 

でも、そのあと何日か後に、

フロア内を少し小走りした私はその人にぶつかりそうになり、

その時すかさず、その人が、

「あっぶないじゃないのおーっ!!」と、

ヒステリックに言葉を投げつけられた。

あまりに感情的な言葉なので、しばらく呆然とした。

周りも少し注目していた。

それで、ちょっと怖くなった。

「このくらいの小走りは、あなたも、みんなも、しているんだけど」

と、心の中で思ったが。

結局、声には出さなかった。

言ったところで、事態が悪くなるのは目に見えていたのだ。

 

そんなことがあり、困ったもんだと思っていたら。

しばらくすると、その人が何もなかったかのように、

「おはようございます」と言ってきた。

そうすると、仕方がない。

苦手だ、苦手だと思っていても、あいさつをされたら、放っては置けない。

私はしばらく「おはようございます」と小声で言うようになった。

当分の間、小声の挨拶をしていたのだが、

だんだん、その人が誰にでも、

衝突するような人だと気付き始めてから、

挨拶をするのも疲れてきて、

私は会釈をするようになった。

 

その人は、気のいいおじさんには、「場所変わって」と言っている。

そして、自分のお気に入りのお友達には、

「こっちにおいでよ」とか「場所、取っておいてあげようか」

とか言っている。

でも、その「取っておいてあげる場所」のために、

他の人が場所を移動しなければならない時もあるのだが。

そのことは全く意に介さないよう。

とにかく、何もかもが「自分が中心」なんだな、と思った。

 

ジムのおばちゃんたちは、その人だけでなく、

他のおばちゃんたちも、自分たちの、好き放題言っていたりする。

だから、少々のわがままは、「仕方ないな」の範疇だと思っている。

でも頻繁に、ヒステリックに、感情をぶつけられると、

正直、へきえきしてしまうのも事実。

 

さて。

そんな私の苦手な人だが。

他のおばちゃんたちとは、なんだかちょっと、違うのだ。

何がどう違うのか、

最初は分からなかった。

でもある時、その理由らしきことを、知ることになった。

 

それは、いつものようにフロアで読書をしていた時の事。

その人は、私のすぐ近くに数人で陣取っておしゃべりしていた。

相変わらず、大きな声でおしゃべりしていた、その人は、

ふと、いつになく落ち着いた声で言っていた。

「うちは、子供がいないから」と。

 

ほとんど反射的にその人の方向を見た。

その人は、少し下を向いていた。

声のトーンも、いつもの、ハイテンションではない。

なんだか。

ちょっと、寂しそうだった。

 

その後、その人がどのようなテンションだったのか、様子だったのか。

もうはっきりとは覚えてはいない。

ただその時思ったのは、

「人には理由がある」ということ。

 

ハイテンションの裏側、

ジムでは若手に入る私に固執していたこと、

毎日、バッチリとウエアのコーディネイトをキメまくっていること、

大勢の人に大声であいさつをしてまわること。

全ては、おそらく、それが理由なのだろうと思った。

 

年が離れた若手の私なら、周りの人みたいに、

子供や孫の話に付き合わなくてもいい。

子供がいないから、派手なウエアも、若いころの気分のままに着る。

自分から色々話題を出すのも、

そうしなければ、子供や孫の話を聞かないといけなくなるから、かもしれない。

 

これは、私の想像の範疇だ。

だから確信があるわけではない。

 

でも、自分の行動に理由があるように、

周りの人の行動にも、理由があるように思ったのだ。

 

そう思うと、少しだけ、

「そうなんだね」と、

ざわざわしていた胸のざわめきが、少しだけ収まった。

 

私の苦手な人は、今日も読書中の私の背中に向かって

「おはようございます!」

とあいさつをしてきた。

そして、私は軽く会釈を返した。

 

今でも、やはりちょっと、苦手な、

ハイテンションのその人だが。

最初に比べると、少しだけ、

苦手ハードルが下がったように思う。

 

「見る角度によって、物体は形が違う」

いつ、どこで、聞いた言葉なのか忘れてしまったが。

人も同じなのだなと、思った。

 

人も、物体も、

見る角度が違えば、

違う形があるのだということは、

覚えておこうと思う。

 

所詮、一人では、生きてはいけないのだから。

苦手な人が一人もいない世界など、どこにもないのだから。