冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【ボランティア】生け花ボランティア、久々に

先日、朝の8時過ぎから、久々の生け花ボランティアに行ってきた。

今年は6月初旬の怪我をした時からバタバタしていて、

ようやくの本格復帰、という感じ。

師範の方もボランティア仲間の方も、

「大丈夫?無理しないでね」

と言って下さって、ありがたいなと思った。

 

ボランティアは当然、無給なので、

行っても行かなくても、私の懐は全く関係ない。

そして小学校や周りの方々も、来てくれたら助かるけど、

来れなくてもいいですよ、という感じ。

だからこそ純粋に、「ボランティアがしたい」という気持ちで、

行動出来ている気がしている。

要は、するかしないか、決めるのは自分の心次第ということだ。

これが実は一番の原動力。

 

「自分の行動を自分で決める」

この何でもないことが、会社員時代には、なかなかできなかったのだ。

そうしようと思っても、

会社の中の立場や、

クライアントへの責任や、

自分の給与を稼がなくてはというプレッシャーで、

行動が制限されてしまうことが多かった。

そうした経験を経て、

今はこの自分の意志決定が優先される行動が、

何よりも大切でありがたいことだと思っているのだ。

 

さて、本日の花材だが。

えんじ色、白、黄色の小菊を中心に、

白と薄紫のストック、

オレンジのカーネーション

黄色や深いピンクの葵系の花、

ピンクのバラ、ユーカリの葉、など。

 

「今の季節は、菊ぐらいしかないのよー」

と師範の方が言われる通り、なかなかに地味な花材がそろっていた。

でも。

むしろ地味な花材をどんなふうに組み合わせて、

「魅せる生け花」に持って行くか。

私はそこに楽しみを見出していたりするのだ。

だからわりと、「少ない花の種類」をみても、

さして気にしなかった。

 

もともとの成り立ちは、

何でもない花を茶花として生けて、

そこから発生してできた「生け花の世界」。

花材の種類が乏しくても、地味であっても、

むしろそれは原点のようにも思えるのだ。

どんな花でも、生け方次第。

そんなふうにして挑んだ今日の生け花だった。

 

 

分かりやすいメインとなる花はない。

どれも割と地味系のお花たち。

でも色彩をそろえて、赤と紫と白でまとめることで、

全体としてにぎやかな雰囲気になっているように思う。

花卉の水色との相性も良かったかなと思っている。

 

いつもなら後ろの枝物を先に入れるのだが、

今回は真ん中の薄いピンクのお花から生けた。

それを決めてから、それを活かすように枝物を入れ、

一番生けたかったえんじ色のあしらいを入れ、

最後に紫の小花で足元をかためた。

 

こういう同色系でまとめるのが好きなので、

今回は好きな生け方ができた。

真ん中のお花から生けるやり方は、

いつもの自分流ではない。

これは図書館で借りて来た生け花の本を読んで、

「生ける順番はいろいろあっていい」

というのを知り、試してみたものだ。

なかなかに楽しく生けられた。

 

 

次に生けたのはこちら。

今回、白いストックがとてもきれいで、

どうしてもこれを生けたくて、

しかも白や黄いろの同系色で生けたくて、

ピンクの花卉に思いっきり「淡い色系」を生けまくり。

どこまでも淡い色を合わせていくうちに、

「何の変哲もないもの」になってしまい、

あまりにも寂しいので、ピンク系の花びらの形が特徴的なお花をあしらい、

最後にピンク色のかれんなお花をアクセントに入れた。

花卉のピンクとシンクロして、

わりと気にいる生け方ができた。

 

本当はもう少し、茎の長さをバラバラにして、

全体的におうとつのある、ボリュームのある生け方、

「どこからみても様になる生け方」を目指したかったのだが、

どうも難しくて断念した。

その代わり色で地味さをカバーした感じ。

大好きな「白色満載」の生け方ができて、

気分はホクホク。

 

今日は師範の方が2つも生けてくださり、

見ると、私よりもさらに地味なお花を選んで生けられていた。

それでも。

応接室や廊下に置いた時、

なんともいえない「座りの良さ」が表されていて、

「ああ、さすが、お上手なんだなあ」と思わずにはいられなかった。

 

素敵な生け方を見ると、

「自分には出来ない」という残念感よりも、

「また一つ、勉強させていただいた」という気持ちになる。

それは最初からそんな風に思っていたわけではなく、

徐々に、自分が生け花に向き合って、

様々な生け方を習得するうちに、

芽生えてきた感情だと思う。

それはとてもありがたく、

そうした良き出会いに感謝している。

 

6月のバタバタから、数か月間、生け花と向き合えない日々を経て、

今はこうして生け花が出来ることが本当にうれしい。

誰かにほめてほしいとか、センスを認めてもらいたいとか、

そうしたことを一気に飛び越して、

「生け花が出来る余裕が出来た喜び」を感じているのだ。

 

一度失ったからこそ、分かる有難さがある、

そんな風に思っている。

おそらくそれは、生け花に限ったことではなく、

どんなことにも当てはまるのだろうと思う。

人と人との出会いであれ、

自分の趣味であれ、

小学校のボランティアであれ。

要は心の持ちようなのだと気付かせていただいた。

 

「怪我の功名」

ということに落ち着くのかもしれないね。

「転んでもただでは起きぬ」

ということも言えるかもしれないね。

つまるところ、

全ては私の捉え方次第。

出来ることなら楽しんでいきたいものだと思うのだ。