先日、朝の8時過ぎから、久々の生け花ボランティアに行ってきた。
今年は6月初旬の怪我をした時からバタバタしていて、
ようやくの本格復帰、という感じ。
師範の方もボランティア仲間の方も、
「大丈夫?無理しないでね」
と言って下さって、ありがたいなと思った。
ボランティアは当然、無給なので、
行っても行かなくても、私の懐は全く関係ない。
そして小学校や周りの方々も、来てくれたら助かるけど、
来れなくてもいいですよ、という感じ。
だからこそ純粋に、「ボランティアがしたい」という気持ちで、
行動出来ている気がしている。
要は、するかしないか、決めるのは自分の心次第ということだ。
これが実は一番の原動力。
「自分の行動を自分で決める」
この何でもないことが、会社員時代には、なかなかできなかったのだ。
そうしようと思っても、
会社の中の立場や、
クライアントへの責任や、
自分の給与を稼がなくてはというプレッシャーで、
行動が制限されてしまうことが多かった。
そうした経験を経て、
今はこの自分の意志決定が優先される行動が、
何よりも大切でありがたいことだと思っているのだ。
さて、本日の花材だが。
えんじ色、白、黄色の小菊を中心に、
白と薄紫のストック、
オレンジのカーネーション、
黄色や深いピンクの葵系の花、
ピンクのバラ、ユーカリの葉、など。
「今の季節は、菊ぐらいしかないのよー」
と師範の方が言われる通り、なかなかに地味な花材がそろっていた。
でも。
むしろ地味な花材をどんなふうに組み合わせて、
「魅せる生け花」に持って行くか。
私はそこに楽しみを見出していたりするのだ。
だからわりと、「少ない花の種類」をみても、
さして気にしなかった。
もともとの成り立ちは、
何でもない花を茶花として生けて、
そこから発生してできた「生け花の世界」。
花材の種類が乏しくても、地味であっても、
むしろそれは原点のようにも思えるのだ。
どんな花でも、生け方次第。
そんなふうにして挑んだ今日の生け花だった。
分かりやすいメインとなる花はない。
どれも割と地味系のお花たち。
でも色彩をそろえて、赤と紫と白でまとめることで、
全体としてにぎやかな雰囲気になっているように思う。
花卉の水色との相性も良かったかなと思っている。
いつもなら後ろの枝物を先に入れるのだが、
今回は真ん中の薄いピンクのお花から生けた。
それを決めてから、それを活かすように枝物を入れ、
一番生けたかったえんじ色のあしらいを入れ、
最後に紫の小花で足元をかためた。
こういう同色系でまとめるのが好きなので、
今回は好きな生け方ができた。
真ん中のお花から生けるやり方は、
いつもの自分流ではない。
これは図書館で借りて来た生け花の本を読んで、
「生ける順番はいろいろあっていい」
というのを知り、試してみたものだ。
なかなかに楽しく生けられた。
次に生けたのはこちら。
今回、白いストックがとてもきれいで、
どうしてもこれを生けたくて、
しかも白や黄いろの同系色で生けたくて、
ピンクの花卉に思いっきり「淡い色系」を生けまくり。
どこまでも淡い色を合わせていくうちに、
「何の変哲もないもの」になってしまい、
あまりにも寂しいので、ピンク系の花びらの形が特徴的なお花をあしらい、
最後にピンク色のかれんなお花をアクセントに入れた。
花卉のピンクとシンクロして、
わりと気にいる生け方ができた。
本当はもう少し、茎の長さをバラバラにして、
全体的におうとつのある、ボリュームのある生け方、
「どこからみても様になる生け方」を目指したかったのだが、
どうも難しくて断念した。
その代わり色で地味さをカバーした感じ。
大好きな「白色満載」の生け方ができて、
気分はホクホク。
今日は師範の方が2つも生けてくださり、
見ると、私よりもさらに地味なお花を選んで生けられていた。
それでも。
応接室や廊下に置いた時、
なんともいえない「座りの良さ」が表されていて、
「ああ、さすが、お上手なんだなあ」と思わずにはいられなかった。
素敵な生け方を見ると、
「自分には出来ない」という残念感よりも、
「また一つ、勉強させていただいた」という気持ちになる。
それは最初からそんな風に思っていたわけではなく、
徐々に、自分が生け花に向き合って、
様々な生け方を習得するうちに、
芽生えてきた感情だと思う。
それはとてもありがたく、
そうした良き出会いに感謝している。
6月のバタバタから、数か月間、生け花と向き合えない日々を経て、
今はこうして生け花が出来ることが本当にうれしい。
誰かにほめてほしいとか、センスを認めてもらいたいとか、
そうしたことを一気に飛び越して、
「生け花が出来る余裕が出来た喜び」を感じているのだ。
一度失ったからこそ、分かる有難さがある、
そんな風に思っている。
おそらくそれは、生け花に限ったことではなく、
どんなことにも当てはまるのだろうと思う。
人と人との出会いであれ、
自分の趣味であれ、
小学校のボランティアであれ。
要は心の持ちようなのだと気付かせていただいた。
「怪我の功名」
ということに落ち着くのかもしれないね。
「転んでもただでは起きぬ」
ということも言えるかもしれないね。
つまるところ、
全ては私の捉え方次第。
出来ることなら楽しんでいきたいものだと思うのだ。