冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】6月の入院(その5)

さて、入院生活の続き。

四日目は、リハビリが本格的にスタート。

歩いたり、座ったり、をしていった。

とはいえ、まだまだ体力の回復には程遠いので、

何度か歩いたり座ったりをしたくらいで、

あまり体力づくりをしているほどには至らなかった。

それでも、少しずつ動きがついてきたので、

ようやく始まった、という気がしてうれしかった。

 

昼食には熊本メロンがが出てきた。

普段の生活では決してお目見えしない、

高給網目入りメロンをワンカット頂いて、

悦に入った。

美味しかった。

同室の方々とのお喋りにも花が咲くってもんだ。

「おいしいね」と言い合える人がいる病室は、

たった3人ながらも、とてもうれしい空間となった。

他に楽しみがないから、ひとしお。

 

五日目は痛みが少し引いてきた。

体をぐるっと取り囲む式の歩行器を持ってきていただいて、

すいすいと歩くことができた。

これで、洗面所も自由に行けるし、

体の自由度が、ぐっと、上がった。

この病院の売店にも初めて行き、

デザートやらお菓子やら日用品やら洋服やら、

いろいろ見て回れた。

小さな売店は、自宅のリビングの2倍くらいのこじんまりした広さ。

それでも、ベットから見える景色が生活の全てだった

ここ何日かの自分の視野に比べると、

圧倒的な情報量と新鮮さで、

心の中を春一番が吹き抜けていったような

解放感と清々しさを感じた。

 

茶和室という入院者の憩いの部屋にも顔を出し、

窓から見える高校生の部活を見た。

スポーツが出来るというのはいいことだなあと、

けがをした自分と比べながら、

健康の大切さを実感した。

 

七日目はさらに痛みが引いていき、

レベル2くらいになったように感じた。

まだまだ腰の重さは残るものの、

かなりやわらいでいった。

 

リハビリでは、自宅でのトレーニング方法や、

自宅での生活の注意点などを教えていただいた。

足をそろえず、不揃いで行動することで、

体重が分散されるのでいい、というようなことも

教えていただいた。

主人が「有休使いたくないな」というので、

土曜日の退院に決めた。

リハビリの先生としては、水曜日位を考えていたそうだが、

私の回復具合を見て、納得してくださった。

本当は、あまり無理を言わない方がいいのだろうと思う。

先生には先生の責任もあるから。

早めに退院することで悪影響がでてはいけないから。

なので早期の退院を許可してくださったリハビリの先生には、

とても感謝している。

 

土曜日の退院を看護師さんに伝えてからは、

責任をもって回復していこうと思い、

何度も「自主トレ室」に通い、一人でリハビリをした。

とはいえ無理をしては本末転倒。

5分ほどの自主トレをしては、一旦ベットに戻り横になり休む。

しばらく休んで体力が回復したら、また自主トレ室に行き、

一人でリハビリをする。

それを何度も繰り返し、少しずつ体を慣らしていった。

そのかいあっては、割と体力に自信が付き始めた。

 

八日目はリハビリ最終日だった。

そのためリハビリの先生からは、

退院後の「ストレッチ」を教わった。

今はまだ無理してはいけないけど、

自宅で徐々に体をほぐす動きをしていくように

指導して頂いた。

本当はすぐにストレッチをしてしまいたい私だったが、

徐々に体を慣らす、という言葉に、

今は素直に従わなければと思った。

 

さてこの日は9階にあるお風呂に行くとこになった。

入院して全くお風呂に入っていなかったので、

この日は看護師さんに最初だけ付き添ってもらい、

お風呂に入った。

中に入るのは一人なので、ゆっくりゆっくり。

6階の眺望を見ながら湯船につかろうを楽しみにしていた。

けれど結果は残念ながら。

のんびり良い景色を見ながらのお風呂とはならなかった。

 

目が悪いので景色はぼやけているし、

外の気温が高いためか、湯船の温度が驚くほど高温で、

とてもじゃないけど、湯船につかることなど出来なかった。

「ざーんねん!」とは思いましたが、大きく落胆するほどではない。

なんといっても明日には自宅に帰るのだ。

自宅のお風呂で思い切り、

汗を流すことができるのだ。

明日は自由になれる。

そのことですべての不自由さが、些細なことのように思えた。

やはり心に大切なのは「希望」なのだと、

改めて感じることができた。

 

9日目は、いよいよ退院の日となった。

窓の外は雲があるものの、青空が見える快晴。

いままでの入院の苦労が吹き飛ぶような、

気持ちのいいお天気となった。

 

入院中は、病院の中でのなにもない生活。

テレビも見ない、パソコンもない、

話し相手は同室者のみで、

外の世界と遮断されていて、

気になることはただひとつ、

自分の病状のことばかり。

だから時間があまりにも遅く、

なにも動かない日常が、

遅々として進んでいくだけだった。

 

それでも、ふと、思う。

こんなにも一日一日が長いのだと、

私はすっかり忘れていたなあと。

流れるような忙しい毎日の中で、

右から左に時間をかけ流して、

私は一体どのような日々の使い方をしていたのだろうかと。

あまりにも大雑把な生活すぎて、

自分で自分に自己嫌悪。

 

それでも。

この入院から学ぶことは、決して少なくはなかったように思うのだ。

私にとって、6月の入院とは、

最近の私が忘れていたものを取り戻すための、

荒療治だったように思うのだ。

怪我はしない方がいい。

病気はしない方がいい。

 

けれど。

なってしまったのならば、

そこから何かを学ぼうと、

立ち上がる勇気は必要な気がしている。

ほんの小さい存在の私でも。

たった1ミリでも何かを見つけていきたいと。

そんな風に思っている。