最近めっきり新刊の本を買わなくなった私。
代わりに図書館で借りることが増えた。
以前のように潤沢に本を買う余裕などなく、
またそこまでした手に入れたい本もさほどなく、
結果としてほしい本を本屋さんで見つけてきては、
図書館で一気に予約をすることにしている。
人気の本や話題の本、出たばかりの本は予約も多く、
大抵の場合は数か月待ちとなる。
早くても2、3か月、場合によっては半年ほど待つことも普通にあるそう。
そこで長い待ち時間の対応策として、
私は読みたい本を多めに予約している。
こうして本の数を多くすれば、順次本が空くのが早いように思う。
そして連絡を受けて借りに行っている。
最初の頃は、なかなか予約本の順番が来なくて、
読めない残念さを感じていたものの、次第に慣れてきて、
「いつか来るでしょうよ」とどーんと構えて、
あまり気持ちがせかされなくなった。
基本的には数か月待ちの予約本だが、
たまに2冊、3冊と立て続けに連絡が来たりもあり、
その時は借りてきた数冊を、一気に読むことになった。
その時どうしても読み切れない時は、あきらめて予約しなおすが、
いざ読んでみたら内容がそれほど好みでもない、と分かった本の時は、
完読していなくても返却したりする。
予約本は次の方が待っていることが多いので、
貸出延長できないところがつらいところ。
さて、この写真の長編小説、かなり長くて「470ページ以上」ある。
私も多くの小説を読んだが、
1冊でここまで長いのはあまり見かけないので驚いた。
しかも今回は予約本が2冊もあり、時間がない中での貸出だった。
「うわーどうしよー。絶対読みたいけど、あと8日ほどしかないー」
とあわてふためいて、読めそうかどうか冷静に考えて、
「たぶん、読めない」という答えになった。
なりましたが、しかし、考えた。
「この本、やっぱり読みたい!」
結局1日70~80ページほど読むのを目標にして、
読むことを決意した。
果たして読めるのか、と自問自答していたものの、
だんだん、考え方を変えた。
「読めるか?」ではない。
「読むんだ!」にするのだ。
そして私の小説を読む日々が始まった。
実用書や、ハウツー本、調べ物の本などは、
必要な個所のみをつまみ読みすれば良いのだが、
小説はそうはいかない。
いわゆる「行間を読む」ということが必要になってくるから。
字面の上っ面だけをかすめて読めば、
話の筋は追えますが、登場人物の心の機微は入ってこない。
それでは小説を読んだことにはならない。
だから小説はきちんと時間をとって、
1行1行しっかりと咀嚼して考えながら読んでいかなくてはならない。
でもそれほどまでして読んだ小説は、
今回、私の中に小さくない気づきを与えてくれた。
この小説の話の筋は、
男女の出会いから始まり、その恋が紆余曲折しながら進んでいく恋愛話。
偶然出会った男女が、お互いの事を理解しようとし、
順風満帆ではない日常を続けながら、
それでも懸命に生活していくさまが描かれている。
そして小説の最後の最後で、私の胸に迫るせりふがあった。
「幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。
少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」
今の私は超節約をしながらの、専業主婦生活。
毎日小銭を節約しての、なんとかかんとか、生活している感じ。
親にも姑にも頼れない小学生の子供のお世話、
親の介護のための毎週一回の帰省。
いろいろあって楽ではないけど苦でもない、宙ぶらりんな毎日を送っている。
会社員時代には、失敗が許されない責任の下、
懸命に働いて全力疾走したように思う。
それに比べたら今の生活は、誰かに激しく怒られることも少なく、
恐らくは幸せなのだろうと思う。
それでも毎日この暮らしをしていると、
あれがいや、これが困ると、色々と注文や文句をつけたくなる。
ほんのささいなことで、うんざりすることもあるのだ。
それがあまりにも小さなことで、
自分でも、「どうしてこんなことで怒る?」ということもあり、
自分で自分にうんざりする。
もしかしたら私は「毎日幸せでなければ、いけない」
などと思いすぎていたのかもしれない。
そんなことを望んでも仕方ない事なのに。
それが分かっていなかったのかもしれない。
少しの不幸に目をつぶり、「まあ、いっか」と思う。
そういう気持ちが足りなかったのかもしれないね。
「完璧に幸せな毎日などないのだから。
それを目指しても仕方ない」
そのことを時々、思い出すようにしたいと思う。
毎日は無理だとしても時々ならば。
それを思い出して今の自分の生活を、
「良し」としていこうと思う。
誰かに見せるために、
生きているわけではないのだから。