冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】長編小説を読む

最近めっきり新刊の本を買わなくなった私。

 

代わりに図書館で借りることが増えた。

以前のように潤沢に本を買う余裕などなく、

またそこまでした手に入れたい本もさほどなく、

結果としてほしい本を本屋さんで見つけてきては、

図書館で一気に予約をすることにしている。

 

人気の本や話題の本、出たばかりの本は予約も多く、

大抵の場合は数か月待ちとなる。

早くても2、3か月、場合によっては半年ほど待つことも普通にあるそう。

そこで長い待ち時間の対応策として、

私は読みたい本を多めに予約している。

こうして本の数を多くすれば、順次本が空くのが早いように思う。

そして連絡を受けて借りに行っている。

 

最初の頃は、なかなか予約本の順番が来なくて、

読めない残念さを感じていたものの、次第に慣れてきて、

「いつか来るでしょうよ」とどーんと構えて、

あまり気持ちがせかされなくなった。

 

基本的には数か月待ちの予約本だが、

たまに2冊、3冊と立て続けに連絡が来たりもあり、

その時は借りてきた数冊を、一気に読むことになった。

その時どうしても読み切れない時は、あきらめて予約しなおすが、

いざ読んでみたら内容がそれほど好みでもない、と分かった本の時は、

完読していなくても返却したりする。

予約本は次の方が待っていることが多いので、

貸出延長できないところがつらいところ。

 

さて、この写真の長編小説、かなり長くて「470ページ以上」ある。

私も多くの小説を読んだが、

1冊でここまで長いのはあまり見かけないので驚いた。

しかも今回は予約本が2冊もあり、時間がない中での貸出だった。

 

「うわーどうしよー。絶対読みたいけど、あと8日ほどしかないー」

とあわてふためいて、読めそうかどうか冷静に考えて、

「たぶん、読めない」という答えになった。

 

なりましたが、しかし、考えた。

「この本、やっぱり読みたい!」

 

結局1日70~80ページほど読むのを目標にして、

読むことを決意した。

果たして読めるのか、と自問自答していたものの、

だんだん、考え方を変えた。

「読めるか?」ではない。

「読むんだ!」にするのだ。

そして私の小説を読む日々が始まった。

 

実用書や、ハウツー本、調べ物の本などは、

必要な個所のみをつまみ読みすれば良いのだが、

小説はそうはいかない。

いわゆる「行間を読む」ということが必要になってくるから。

 

字面の上っ面だけをかすめて読めば、

話の筋は追えますが、登場人物の心の機微は入ってこない。

それでは小説を読んだことにはならない。

だから小説はきちんと時間をとって、

1行1行しっかりと咀嚼して考えながら読んでいかなくてはならない。

 

でもそれほどまでして読んだ小説は、

今回、私の中に小さくない気づきを与えてくれた。

 

この小説の話の筋は、

男女の出会いから始まり、その恋が紆余曲折しながら進んでいく恋愛話。

偶然出会った男女が、お互いの事を理解しようとし、

順風満帆ではない日常を続けながら、

それでも懸命に生活していくさまが描かれている。

そして小説の最後の最後で、私の胸に迫るせりふがあった。

 

「幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。

少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」

 

今の私は超節約をしながらの、専業主婦生活。

毎日小銭を節約しての、なんとかかんとか、生活している感じ。

親にも姑にも頼れない小学生の子供のお世話、

親の介護のための毎週一回の帰省。

いろいろあって楽ではないけど苦でもない、宙ぶらりんな毎日を送っている。

 

会社員時代には、失敗が許されない責任の下、

懸命に働いて全力疾走したように思う。

それに比べたら今の生活は、誰かに激しく怒られることも少なく、

恐らくは幸せなのだろうと思う。

 

それでも毎日この暮らしをしていると、

あれがいや、これが困ると、色々と注文や文句をつけたくなる。

ほんのささいなことで、うんざりすることもあるのだ。

それがあまりにも小さなことで、

自分でも、「どうしてこんなことで怒る?」ということもあり、

自分で自分にうんざりする。

 

もしかしたら私は「毎日幸せでなければ、いけない」

などと思いすぎていたのかもしれない。

そんなことを望んでも仕方ない事なのに。

それが分かっていなかったのかもしれない。

少しの不幸に目をつぶり、「まあ、いっか」と思う。

そういう気持ちが足りなかったのかもしれないね。

 

「完璧に幸せな毎日などないのだから。

それを目指しても仕方ない」

そのことを時々、思い出すようにしたいと思う。

毎日は無理だとしても時々ならば。

それを思い出して今の自分の生活を、

「良し」としていこうと思う。

 

誰かに見せるために、

生きているわけではないのだから。