冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【エッセイ】「あり活」始めたよ

先日のこと。

二人娘と休日に、自転車で出かけようとした矢先に、

駐車場で娘たちが「お花」を見つけてくれた。

小さな、ビオラのお花だった。

 

「ママ!こんなところでも、お花が咲いているよ!」

次女が興奮した声で、そう教えてくれた。

「これ、ブログに載せようよ!」とのことなので、

早速載せてみた。

 

そんな「小さな幸せ」の発見をしてからも、

なんだかんだと忙しくしていて、

私自身の心は一向に「小さな幸せ」を見つけられないでいた。

でも毎日ジムに通う日常が戻ってきて、

なじみの「愚痴をきいてくれるジムのおばちゃん」と交流していく中で、

少しずつ、少しずつ、何かが変わっていった。

おばちゃんに愚痴を言ったり、

大笑いしたり、

「愚痴を聞いてくれてありがとう」という気持ちを持ったり。

そんなことをしていく中で、

周囲の人の態度も変わっていき、

ちょくちょく「おはよう」「お疲れ様」だとか、

挨拶を言われる回数が増えていった。

 

ジムにはそれほど友人知人を作る気はなくて、

出来るだけ「一人にしておいてオーラ」を出していた私だが、

本当に気持ちが弱っている時にジムのおばちゃんに助けられて、

素の自分をだすうちに、周囲のジムの人たちと

ゆるやかなつながりが出来ていったようだった。

 

もちろん、一気ににぎやかな交流が出来るわけでも、

そうしたいわけでもなく、

あくまでも、じわじわとゆるい繋がりが出来ていっているという感じ。

 

そんな生活をしていく中で、

私の中である変化が生まれてきた。

「今まで、髪振り乱して、心がささくれまくって、

育児にまい進してきたけれど、

そんな自分でいいのだろうか?」

と自問するようになってきたのだ。

いくら育児が大変だからと言って、

周囲の人のことを省みない自分で、

果たしていいのだろうかと。

 

そんな時、ボランティアで一緒のおばちゃんとランチをする機会があった。

一度数人で一緒にランチに行ったことがあり、

今回は都合上、私とおばちゃんと二人でランチをすることになったのだ。

最初は、二人きりで、果たして話題があるのだろうか?と不安でしたが、

会って話をすれば、二人ともお喋りなので、

いくらでもお話が続き、

気が付けば二時間半が経っていた。

 

「たっのしかったわー、またね」とおばちゃんに言われ、

「はい、私も楽しかったです。また行きましょう」とお返事をして別れた。

親子ほど年の離れたおばちゃんだ。

でもまるで母と話をしているようで、

なんのてらいもなく、見えもなく、自慢もなく、

ただただしょうもない愚痴やらなんやら、しゃべりまくった。

楽しい事だけを話すというのは、楽しいのだなと再認識した。

 

そんなこんな、数々のおばちゃんとお話をするうちに、

ふと、私の中である変化が起こった。

何年も、スーパーのレジでは大した愛想もない対応の私が、

気が付けば、レシートを受け取る際に、

「ありがとう」と言っていたのだ。

これには自分でもびっくり!

 

スーパーのレジでお礼を言うなんて発想、

ここ10数年、忘れていたことだ。

最初は自分が何を言っているのか分からなかった。

「どうした?私?何があった?」って感じ。

 

もちろん、全くのゼロではない。

特別な配慮をしてもらったり、

買い忘れを取りに行って待たせたり、

そういう時には言ったのではないかと思う。

でもそんなこと、めったにない。

ましてや、何気ないレジの対応に、お礼を言うことは、

ほぼなかった。

 

でも。

「ありがとう」

と言ってレシートを受け取った時、

うれしかったんですよねー、私。

なんだか私の周りの空気が清浄されていくような感覚を味わったのだ。

そして、相手のレジの人も、

「ありがとうございます」

と言ってくれて、

ああ、人っていいな、って思ったのだ。

 

最近、特に心が疲れることが多く、

自分でも疲弊しているなと感じていた。

でもそんな自分だからこそ、

周りの友人達やおばちゃん達に助けられていることに

敏感に気づくことが出来て、

なんでもないレジの人にも、

感謝の気持ちが出てきたのだろうと思う。

 

その後に別の日にも、

別のスーパーのレジの人にも、

「ありがとう」

と言ってみた。

するとやはり、

「ありがとうございます」

というさわやかな返事が返ってきた。

 

誰かに感謝の気持ちを述べる。

そんなこと、今の疲弊している私には、

なかなかにハードルの高い事。

でも身近な人や、あるいは全然他人のレジの人には、

出来そうな気がしている。

だから、これを続けてみようかなと思っている。

 

家の駐車場に咲く小さなビオラの花を見つけた二人娘のように、

私も「小さな幸せ」を見つけられる人になれるように、

ひっそりと自分の心に決めた。

これから、いつまで続くか分からないが、

もしかしたら三日坊主になるかもしれないが、

途中でやめてしまっても、

また知らんぷりして再開しながら、

「ありがとう」をしていこうと思っている。

 

私、「ありがとう活動」始めたよ。

みなさんも、よろしければ、ぜひ、どうぞ。

途中でやめても、再開しながら。

のんびり、ゆっくり、していきたいね。