冬菜かしこの「ジムと畑とボランティア」の日々

二人娘は小学生、アラフィフママのどたばたな毎日の記録。

【書評】最近読んだ本、11月

今月はあまり本を読まなかった。

なので、こんな感じ。

この本は、50代ならではの、

あるあるが詰まっていた。

体力が落ちて、そろそろ、子供も巣立ち、

といったふうである。

そこで、片付けをする、平屋に住む、健康やけがに注意する、など。

分かってはいるものの、人に言われると、

そうだよね、と改めて身を引き締めることが、

たくさん書かれていた。

うなづきながら読んだ本だった。

 

この本はちょっと、私より年配の方向けだが、

それでも今から準備することは大切かも、と思った。

肩ひじ張らずに、自分の気持ちと体力に正直に、

そして興味のあることに前向きに、

好奇心とともに生きていく、

という姿勢が書かれていて、

楽しく読めた。

素の自分を知り、好きになる。

それが大切かなと思わせてくれた。

 

この本は何が良かったかって、

「そう、そう!」が多く詰まっていたのだ。

例えば、S字フックはゆらゆらして、かけにくい。

マワハンガーは、ずりおちないから、とりにくい。

同じ入れ物を並べると、全部同じで、中が分からない。

などなど。

結局自分に合う方法でするのが一番かな、

と改めて思わせてくれた。

漫画の部分がかわいいので、癒される。

 

この、人前では開きにくい本のタイトル、

そのままの内容だった。

実家に寄生する、金の無心をする、暴言を吐く、宗教にはまる。

読めば読むほど暗い気持ちになる。

と同時に、どこの家でも、いっときは、

こんな問題の一つや二つ、あるのでは、

と思ったりもする。

仲が良くても、親が年を取れば、介護があり、

親が亡くなれば、相続がある。

いろいろ面倒を見ていた親が、

面倒を見られなくなった時、

兄弟の形が変わることもある。

結局、「兄弟は他人の始まり」なのかもしれない。

だとしたら、「親しき中にも礼儀あり」なのだろう。

それを心得ておけば、

過度な「仲良し兄弟神話」に悩まされることもない気がする。

兄弟って、難しいなと思う。

 

とまあ、今回はこんな感じかな。

読書数が少ないのは、ドラマを観すぎたせいかもしれない。

うーん、反省。

12月に期待、だな。

【エッセイ】舗装されていない道路

子供の頃住んでいた家の前には空き地があり、

その境には細い道路が通っていた。

 

当時、アスファルトに舗装された道路の方が珍しく、

当然ながら、その細い道路は舗装されていなかった。

どん突きにある家の前の道路は、

近所の住人の車以外はほとんど通らず、

隣接している200坪ほどの空き地とともに、

子供たちの格好の遊び場となっていた。

 

空き地にはまだ、葦がびっしりと茂っており、

その葦を子らがふんづけて路地を作っては、

迷路のようにして遊んでいた。

しばらくたつと、葦はきれいにかられ、

きれいな土が入り、

見事な空き地に様変わりしていた。

 

ここで、缶蹴りや鬼ごっこや、

竹馬や、自転車の練習や、

いろいろなことをして遊んでいた。

まだ開発されきっていないド田舎の空き地は、

誰も何も文句をいう事のない、

のどかな子供天国だったのである。

 

舗装されていない道路は、

今なら怒られそうだが、

子供達だけで、落とし穴を掘ったこともある。

結構な大きさで、しっかりと、

いたずらを成功させた。

あの頃だからこそできた、

大いなるいたずらだったのだ。

 

大きな声をしても、

ボールを使っても、

大勢で集まっても、

夜暗くなるまでいても、

花火なんかをしても、

誰も何も言わない。

 

住宅より田んぼの方が幅を利かせている

ド田舎ならではのおおらかさで、

私達子供は、文字通りの、

自由気ままを謳歌していたのである。

 

引っ越しをして、

その家を離れても、

わりと近くに住んでいたものだから、

実家に行くたびになんとなく、

空き地を見ていた。

数十年が経ち、空き地が駐車場になったのを見た時、

時代が変わったのだと知り、

少しの寂しさを覚えた。

それでも、付近の住宅は幼少期の家がそのままで、

懐かしさを保っていた。

それがとても安心で、

昔の風景があることのうれしさとは、

こういうものだなと思っていた。

 

空き地は、駐車場となっても、舗装などされておらず、

紐で仕切っただけの簡素な物だった。

隣接している道路も、

舗装されていないままだった。

その頃ふと、どうして舗装されないのかと疑問に思った。

「イマドキ、舗装されていないんだ」

しかし、そうかといって、それほど気にすることもなく、

そんなものかと思っていた。

 

それからまた、数十年が経った。

空き地はまた変わっていた。

大きなアパートが経っていた。

敷地いっぱいに、茶色いアパートが建てられ、

アスファルトの駐車場も完備されていた。

そして、あの舗装されていない道路は、

きれいにアスファルトが敷き詰められていた。

 

おそらく、あの道路は私道だったのだろう。

だから長い間、舗装されていなかったのだろう。

そして、アパートのために、いよいよ、

舗装されたのだろう。

なぜかその時、一抹の寂しさを覚えた。

思い出深い、空き地のアパート化ではなく、

細い道路の舗装化、にである。

 

空き地がアパートになった時、

ともかく分割されなかったのだと思った。

切り売りして、全く知らない人のものとなり、

ちりぢりになったのではないことに、

安堵した。

もしかして持ち主が変わったとしても、

それが確定しない限りは、自分の中で、

空き地は形を変えただけだと、

思っていられると考えた。

 

しかし、隣接する道路は違っていた。

舗装されたことで、

明らかにそれは私の中の、

思い出の道路ではなくなっていた。

矛盾するようだが、

そう思ったのだ。

 

舗装前の道路。

それは、いつもでこぼこと穴が出来ていた。

雨が降ると、大きな水たまりが出来て、

時々靴を濡らした。

冬の朝は氷が張って、

それを靴でパキンと割るのが楽しかった。

落とし穴も作った。

どんつきの自分の家につながる、

自分や近所の人たちのもの。

それがその道路だったのだ。

空き地はあくまでも、

よそさまのもの。

でも、道路は違っていた。

それは大手を振って通ることのできる、

私達近所の住人の共有物のようになっていたのである。

そして、それが舗装されてしまったということは、

一般道のように、近所の者だけのものではなく、

アパートや他の人たちが使うものになったということ。

それがなぜか寂しかったのだ。

 

すでに引っ越して、別の家に住んでいるというのに、

その、舗装されていない道路を見るたび、

なぜか心が和んでいたのだ。

「ここだけは、変わらない。

まるで時間が止まったように、

周りの田んぼが宅地化されても、

この道路は、子供の頃のままだ」

と安心していたのである。

 

そして、その道路がアスファルトに舗装された。

ほかの一般道と同じ様相になったのである。

まるでひとつの時代が終わったかのような

気分になったのである。

 

時代は変わる。

それは分かっている。

でもどこかでそれを受け入れ切れていない自分もいる。

それを、「変わっていくんだよ」

と突き付けられたような気がする。

 

たかが、道路の舗装化でそんなことを考える。

楽しかった子供時代を思い出す。

そんな私なのである。

 

 

 

【エッセイ】アリとキリギリスの話

いつ、どこで、見かけたのかは定かではないが、

「アリとキリギリス」の話の続きを読んだ。

 

一般的な話はこう。

アリは夏の間一所懸命に食べ物をためている。

キリギリスは歌って踊って過ごしている。

冬になって、キリギリスが困り果てる。

キリギリスは、アリに食べ物を乞う。

 

私が見かけた、話の続きはこうだ。

 

冬が終わり春になった。

アリはいつものように、せっせと食べ物を集めている。

そしてキリギリスは、得意の歌と踊りと演奏をしている。

アリはそれを見て、楽しませてくれてありがとうと言う。

 

この寓話の教訓としては、通常、

勤勉を良しとして、刹那を悪しとしている。

地道に積み上げることこそが尊ばれ、

その日暮らしの楽しさを重視することを戒めている。

私はその教訓を、あまりにも当然だとして受け止めていた。

 

ところが、新たに見かけた「その後の話」を見た時、

最初は信じられなかった。

「キリギリス的な生き方って、良くない、

って、話じゃなかったのかよ?」

と思ったのである。

 

そして、こうした「従来とは違った価値観」を知るという意味で、

「本当は怖い童話」など、

奥深いなあと思っていた。

 

考えてみると絵本とは、結構、

辛辣だったり、恐怖だったりする。

ふんわり優しいものばかりではない。

中には、そういう平和なものもあるが、

わりときついものも多いのである。

 

それは、当然と言えば当然だ。

昔は食べていくことこそが最重要課題であり、

それを達成するためには、

なんとしても自分の食べ物を

確保しなければならなかったのだから。

どんな手段を使ったとしても。

それは現代の平和な中では、

理解しがたいものだたとしても、

生きていくためには、

どうしても仕方がなかっただろう。

 

そういう目で見ると、

「キリギリスは、人々を楽しませてくれたからいいやつ」

などという話の流れは、

ある意味では昔の話としては、

斬新なような気がする。

食べ物もらって、そのお礼に、

歌と踊りと演奏、って。

お腹膨れないじゃーん、

などと思ってしまう私。

でもこれこそが、

「多様性って、そういうこと」

だと言われているようにも感じる。

 

童話って、奥深い。

子供向けだから軽く見がちだけど、

我が子のために読んだ絵本で、

泣けてくるものって、結構ある。

なんだかんだで、いいものはいい、

ってことなんだろうと思う。

 

そういえば、もうひとつ、

気になるものがある。

寓話ではないのだが、

自分の知らなかった、

「続きの言葉を知って考えさせられた」系のもの。

 

井の中の蛙、大海を知らず」

っていう、有名な言葉。

ずっと、

「狭いところにいると、視野が狭くなる」

的な、どちらかというと、

否定的な意味で捉えていたのである。

ところが、これも続きを知って、

見方が変わった。

続きの文章はこうだ。

 

井の中の蛙、大海を知らず。

されど、天の高きを知る」

つまり、狭い世界で生きていると、

視野が狭くはなるけれど、

代わりに、狭い世界を奥深く知ることになる、とのこと。

 

ああ、なんてこった。

そんな教訓があったなんて、

知らなかったよ。

ただ単純に、狭い世界にいてはだめだよ、

広い世界に行きなさいよ、

だと思っていたよ。

 

昔の職人さんとか、

そうなんだろうなと思う。

その道、ウン十年、とかだと、

もう、おそらく、世間一般の事とか、

知らなくても生きていけるような気がする。

だって、その道で食べて行けるのだから。

そして、そういう人は、

その狭い世界で、その技術の奥深いところを目指して、

精進していくのだろうなと思う。

それは、そんな世界を知らない私からすると、

ちょっと憧れる世界ではあるなと思う。

 

いつだったか、実家の父が、

「おまえたちは素人だから気づかないだろうけれど、

こんな仕上げをしていたら、笑われる」

と言っていたことがある。

家を設計、建築する職人だった父は、

プロだから、いろいろ思うところがあったんだろうなと思う。

今にして思えば、

いろいろな格言を聞かせてもらって、

ありがたかったなと思う。

 

「アリとキリギリス」にしても、

井の中の蛙」にしても、

分かった風に思っていて、

実際はあまりよく分かっていなかった、

ということは、あるのかもしれない。

 

なんとなく身に着いていた知識で、

「もう、知っている」

などと、勘違いしていることがあるのかもしれない。

そう思うと、今の自分が、余りにも未熟だなと思う。

 

しかしまた、

そうした話の続きがあることを知ったことで、

「まだまだ、自分の知らないことがある」

と謙虚になる気持ちもある。

どちらも自分の正直な気持ちである。

 

まずは、知らないことがある、と気づくこと。

そして、それを知ろうと、努力すること。

そのためには、少しずつ、積み上げていくということ。

 

そうして、自分のなりたい自分に、

近づいて行けたらいいなと思う。

 

【エッセイ】ショートケーキの苺

「ショートケーキの苺をいつ食べるか?

最初か?最後か?」

という平和な問題を問われると、

いつも楽しく答えている。

こういう毒にも薬にもならない質問が好きなのだ。

 

子供の頃からずっと一貫して、

「苺は最後に食べる派」

を自認してきた。

誰に何と言われようとも、

好きなものはずっと取っておいて、

長い時間楽しみたいのだ。

 

先に食べてしまえば、

その先には、苺のテンションはない。

あーあ、食べちゃった。

もう終わったんだな。

という、味気ない気持ちになってしまう。

それが嫌なのだ。

 

そんな苺ごときでテンション変わる?

という人がいたとしても、

私はこだわっていた。

どうしても、長い時間、

苺とともに楽しい時を過ごしたいのだ。

 

これは、なにも苺に限ったことではない。

いくつかの食べ物があり、

その中に好きなものがあると、

最後まで取っておく。

それを食べるまでの間、

ずっと幸せな気分に浸れるのが

好きなのだ。

 

苦手な物から食べていき、

最後に好きなものを食べる。

そうすると、苦手なものも、

「これを我慢すれば、あれが待っている!」

とモチベーションも上がるというもの。

長い間、この姿勢を貫いてきた。

 

ところが、である。

いつからか、この考えが変わってきた。

「本当に、好きなものを最後にするのが正解なのか?」

と疑問を持ち始めたのである。

 

ことの発端は、あるお菓子だったように記憶している。

いくつかの種類のお菓子を食べる時に、ふと、

「好きなものを残しておくと、

それにたどり着くまでに、ずっと、我慢しなきゃいけないのでは?」

と思い立ったのである。

 

その理論はこう。

「仮に、3種類のお菓子があったとしよう。

好きな順に、A、B、Cである。

Cを食べる時、BとAに遠慮しているので、

我慢している。

 

次に、Bを食べる時、Aに遠慮しているので、

我慢している。

 

最後に、Aを食べる時、やっと満足している」

つまり、一番好きなAを食べるまで、

ずっと我慢が続くのである。

本当は、BもCも、我慢しないで楽しみたいのに、

Aを残すことで、我慢を強いられるのだ。

 

ならば、と方針転換してみた。

「好きな物から、食べてみよう!」

 

その理論はこう。

「仮に、3種類のお菓子があったとしよう。

好きな順に、A、B、Cである。

 

Aを食べる時、大満足である。

 

次に、BとCが残っている。

その中で、一番好きな、Bを食べる時、

大満足である。

 

最後に、Cが残っている。

Cを食べる時、大満足している」

 

この理論を思いついた時、

大発見だと思った!

こうすれば、好きなものを我慢せず、

しかも、さして大好きではないものでも、

嬉し気に食べられるのである。

 

嬉しかった。

この理論を発見した時、

小躍りするくらい、嬉しかった。

 

それからというもの、

「ショートケーキを食べる時、最初?最後?」

の質問には、満面の笑みで、

「もちろん、最初!」

と答えるようになった。

その理由を言いたくて、うずうずするが、

あまりに張り切ると、周りが引くのも想像がつく。

ここは大人の対応で、

理由については、聞かれるまで待とう、との姿勢に決めた。

 

「聞かれぬなら、聞かれるまで待とう、ホトトギス」なのだ。

 

そうして、やたらめったに、

好きな物から食べる生活をしていった。

むしろ、何種類かの食べ物が並んでいると、

この理論を実践したくて、

わくわくした。

皆がこの理論を実践すればいいのにーーー、

などと、余計なお世話なことまで考えだす始末。

凡人がたまに熟考すると、

めんどくさいなと我ながらあきれる。

 

しかし、この理論はどうしても譲れない。

下手すると、

「ショートケーキの苺、最後です」

という人を、

「そうじゃないのよ、分かってないなー」

などと、他人に言うと怒られそうなことを

言ってしまいそうな勢いである。

 

そうして、月日は流れた。

ある時、私と同様に、

「ショートケーキの苺は最初」

という人に出会った。

「うん、うん。分かっているね。

そうなんだよ。苺は最初なんだよ。

それでこそ、苺も報われるってもんだよ」

などと良く分からないことを考えていると、

その人は、きっぱりと言った。

 

「だって、子供の頃、お兄ちゃんに、

苺要らないの?食べてあげるよ、って、

横取りされたことあるから」

 

ああ。

そう。

そういう理論ね。

私の熟考した理論と、

彼女の単純に経験則から来る理論が、

同じだったのね。

ふーん。

私、色々考え抜いた末の、

結論だったのに。

 

無邪気に笑う彼女を見ながら、

私はふと、自分の幼少期を思い出していた。

 

「私も、お兄ちゃんに、苺食べられたことある」

 

同じ経験をしながら、

彼女はすぐに、経験から学び、

先に苺を食べるようになり。

 

かたや。

同じ経験をしながら、

私は全く、経験から学ばず、

のん気に苺を最後に残していたのだ。

とんだ、回り道。

 

人は経験から学ぶというが、

それには個人差があるのよね、

とその時に悟った。

 

そして今の私はと言うと、

その時々で、

先に食べたり、あとに残したり、

結局、自由気ままにしているのだ。

 

あれこれ理論立ててみたところで、

感覚を重視する人間にとっては、

厳密なルールなど、守れないのだ。

そうして、

「ショートケーキの苺、いつ食べるか問題」

の話をする度に、

苦笑いする私なのであった。

 

 

【ボランティア】算数ボランティア、心通う

算数のボランティアに、10分ほど遅れて行った。

出がけに、友達の家に行く次女のために、

お菓子を買いに行ったからだ。

それでも、10分ほどならいいかと、

ボランティアならではの気安さで、

遅れて行ったのだ。

 

しかし、教室に入って、

ボランティア担当の先生に挨拶すると、

きょとんとされた。

「10分遅れたのが、そんなにまずかったのか?」

ちょっと、申し訳ない気持ちになった。

 

すると先生が言った。

「今日は2時半からなのですが、連絡なかったですか?

月間スケジュールのプリントには、間違って3時5分となっていたのですが、

訂正の連絡はなかったですか?」

 

「連絡はなかったですねえ」

と笑うと、先生は、

「最近、間違いが、ちょこちょこあるんですよね。

どうしたんでしょう」

とため息をつかれた。

 

いつもと違い、先生が素の部分を出されたので、

私も少々素を出そうと思い、

日頃の思いを話してみた。

 

児童が丸付けしているので、

やる気が保ちにくいこと、

出来れば、分からない児童に、

教えたいこと、

自分は教えるのが好きなこと。

 

すると先生は、ぱあっと表情を明るくして、

「教えるの、好きなの?

じゃあ、どんどん教えてくださいね」

とうれしそうな声で言ってくれた。

 

今まで、どちらかというと、

付き合いにくいと感じていた先生。

算数ボランティアの担当として、

自分なりのやり方で、しっかりやっていこうと

肩に力が入っているように見えた先生。

しかし、今日の先生には、

そういうところが一切なくて、

ただ、「来てくれてありがとう」

の歓迎ムードだったのだ。

 

どうやら、唯一の小3保護者のママさんのボランティアである人が、

お子さんの入院でしばらく来られないのだそう。

つまり、現在、ボランティアは私一人だということ。

これは、算数ボランティア消滅の危機。

なんとか、自分にできることをしていかねば、

と思ったのだ。

 

「2時半からということは、もう終わるのですね?」

と先生に確認すると、

すっかり打ち解けた先生が、

「そうなのよ」

と笑ってこたえてくれた。

「では、また来ます。今日は、こっそり帰ります」

と私が茶目っ気を出すと、先生は、

「次は12月4日です。今度は、月曜日なので、3時5分です」

と明るい声で教えてくれた。

「はい。分かりましたー」

と返事をし、教室を後にした。

 

時間の終わりにひょっこり来て、

すぐさま帰る私を見て、

児童はきょとんとしている。

何人も、何人も。

それでも何も言わずに、

教室を出た。

「また来週ね」

と心でつぶやいた。

 

今まで、肩ひじ張っていたように見えた、

算数ボランティア担当の先生。

今日はうってかわっての気さくな感じ。

年齢は私とさほど変わらないだろう、

落ち着いた感じの先生は、

もしかしたら、慣れない小学校で、

気を張っていたのかもしれない。

 

そういえば、前任の先生の時も、

打ち解けるまでに時間がかかったように思う。

忘れていただけで、

人と打ち解けるまでには、

時間がかかるものだったなと思い出す。

 

「もう、大丈夫だな」

そう思う。

現在の算数のボランティア先生との間に、

ほんの少しの友好が出来たように思う。

それはまだほんの小さなものだけれど、

確かに信頼関係は出来てきたように思う。

 

ボランティアが多い時には、

なかなか気づくのが難しいものだが、

今は私しかいないので、

わりと信頼関係の構築がしやすかったのかもしれない。

 

この先、もっと打ち解ける機会があったとしても、

なあなあの馴れ合いにはならないように、

気を付けたいと思う。

そうなってしまえば、

ぐだぐだになっていくのは目に見えている。

お互いに依存しない関係こそ、

強靭なものだと信じているのだ。

 

だから、これからもこのままである。

先生と打ち解けても、

ずっとこのままである。

でもそれが、とても心地よいように思う。

少し距離を置いて、

きちんとお互いの全体像をみえるところで、

算数のボランティアを協力してやっていきたい。

 

「親しき中にも礼儀あり」

とは、いい言葉だなと改めて思う。

ついつい、なれないになる、

私の性格を戒めてくれる、

いい言葉だなと思う。

 

細く長く。

年越しそばのように、

ボランティアを続けてけたら、

楽しいなと思っているのである。

【畑】さつま芋、おまけ

今年は10月に、収穫し終わっていたはずなのに、

なぜか、さつま芋が採れた。

思い切り出遅れた「秋冬の畝づくり」をしようと、

久しぶりに市民農園に入ると、

さつま芋の葉が出ていて、

「おや?」と思い掘ってみたのだ。

 

大して期待もしていないのに、

結構な大きさの芋が、ざくざくと出てきた。

うひょうー、なんてこった!

さつま芋の収穫が、もう一度出来るなんて。

なんて、素敵。

気分も良くなり、うきうきと掘ってみて、

たまに、ざっくり切ってしまうものがあるものの、

おまけにしては、なかなかの収穫。

いいねえ。

今夜は豚汁にしようと思っていたのだよ。

よし。

この芋を使おう。

このざっくりしちゃっているのを使っていこう。

今からテンションがあがる。

 

畝の真ん中に、とてもみずみずしいニラを発見。

でも、これから苺を植えるので、

根元から掘り出した。

ニラと苺は相性が悪いからね。

昨年の苺が不発に終わったのは、

おそらく、私が見逃していた、

このニラの影響だろうとふんでいる。

だから残念だが、ここでご退場願おう。

掘り起こしたニラは無駄にせず、

卵焼きだの、餃子だの、いろいろ活用しようと思う。

それにしても、掘りたてのニラの香りの良いこと。

なにかニラをメインにした料理がしたくなるほどだな。

 

畑のまんなかに鎮座しているトマトだが、

いまだに青い実をたわわに付けている。

大きいものも、ミニのものも、

今にも赤く熟しそうな、張りのある青い実である。

しかーし。

ここのところの寒さ到来で、

恐らくはもう実が赤く色づくことはないだろう。

ここらであきらめた方が良い。

その方が良い。

それは分かっているのだが、

あまりにも、たわわな実なので、

今一つふんぎりがつかない。

致し方ない。

決心は明日に持ちこしだ。

 

今年は、夏からの実家の介護兼家事手伝いで、

すっかり畑仕事が出来なかった市民農園

周りには、青々とした野菜を実らせた畝が、

あちらこちらに見受けられる。

うらやましい。

私だって、実家のお世話さえなければ。

そんな愚痴を何度も飲み込んだ。

 

けれど、ようやく実家も落ち着いてきたし、

畑を再開できそうな予感である。

「今から何ができる?」

と心配もあるのだが、

種からいけば何かしらは育てられるような気がする。

 

近所のおばちゃんが畝作っているのでたずねたら、

「玉ねぎよー」と教えてくれた。

やはり、玉ねぎか。

そして、出遅れたかもしれないが、

大根もいってみようか。

白い大根はできなくとも、

葉はできるだろうと思う。

大根の葉のてんぷらは、

私のこころを躍らせる。

いまからでも可能性があるならば、

大根に期待したい。

 

そして、冬と言えば、やはり豆である。

そら豆、えんどう豆、いろいろある。

なかなか難しいイメージだが、

キャベツや白菜を植えそこなった我が畑は、

空いた畝はたっぷりある。

この機会に、様々な豆系にチャレンジしてもいいかもと思う。

なにごとも、まずは動く方がいいだろう。

とにかくなにか、植えてみよう。

駄目なら駄目で、それもまた勉強だ。

 

ひとまず。

我が畑は今もなお、ナスが最盛期が続いている。

夏はさっぱりだったのに、

秋になって、がぜん、張り切って実を付けている。

そろそろ寒くなってきたので、

どこまで実るか未知数であるが、

とにかく何でも、収穫できるのはうれしい。

ナスビ、がんばれ!という気持ちである。

先日のナスビの収穫はこんな感じ。

 

雨の翌日の収穫の為、

わりとみずみずしく、良い出来だった。

やはり、収穫の時期や時間、天候など、大切だなと実感。

 

オクラはもう、終了した。

虫に葉を食べられまくりの今年のオクラであった。

来年は、虫対策を考えたいと思う。

 

ピーマンは、かなり苦戦した。

牛糞を入れないと厳しいみたいだ。

来年はきちんと牛糞を入れて、

水やりに励みたいと思う。

 

最近、冬を実感するほどの寒さである。

昨日から、暖房も入れ始めた。

秋が短く、冬がすぐ来た、という感じだが、

仕方ないのでそれを受け入れないとと思う。

それが、農業。

それが、畑仕事。

与えられたものを受取り、

それを生かして作るのみ。

でもきっと、

どこかに正解は落っこちている。

さしずめ今は、

「冬が来たから、豆植えなよ」

ってな感じ。

 

だから、それを楽しんでいこう!

【エッセイ】断捨離のジレンマ

断捨離をした人で、

「ジレンマ」を感じたことがある人は

どのくらいいるのだろうか?

そして、どのように克服してきたのだろうか。

 

7年ほど前、妹から断捨離本を勧められて、

借りて読んだ。

 

幼い二人の娘との生活で、

およそ整理整頓という言葉からは程遠い生活を

していた私に、それらの本は響いた。

そして、実践していった。

 

最初は捨てやすいものから、

とのことで、

賞味期限切れの食品やら、

不要となった書類やら、

色あせた本やら、

絶対に着ないであろう洋服やら、

捨てていった。

 

そのうちに、勢いづいてきて、

「多分、もう要らない」

と思うものは、

片っ端から捨てていった。

 

食器棚も、本棚も、洋服ダンスも、

収納の中は見違えるほど物が減り、

出し入れもしやすくなった。

おそらく、総量の半分くらいは捨てたのであろう。

見違えるほどのすっきり具合となった。

 

そして、その頃から、

「断捨離のジレンマ」が始まったのである。

 

最初に気づいたのは、

「食器」であった。

私の家族は4人なので、

大体の食器は「4皿セット」で購入する。

その後、何かの拍子で皿が1枚割れる。

すると、そこで問題が発生する。

「もう同じ柄の皿は売っていない」のである。

 

かくして、仕方なく3皿を使い、

1皿は別の柄で代用となる。

重ねた食器に、違う柄が混じることの違和感。

ならば、3皿は捨てて、

また新たな4皿を買えばいいのかというと、

それはやはり勿体ない気がする。

結局、我慢してちぐはぐを許容することになる。

 

こうしたことを危惧して、

あらかじめ余分を入れて、5皿そろえたこともあった。

しかし、そんな皿に限って、

まったく割れずに5皿が残っているのである。

それに、5皿用意したとて、

いずれは、1皿割れ、2皿割れ、足りなくなるだろう。

 

それでは、必ずどこでも売っている、

真っ白な更にしておけばいいと思ったことがある。

皿が割れても、同じ柄がない、とならないように、

どこにでもあるものにしておくという手。

 

実際にやってみて気づいたが、

「真っ白い皿は、センスがないとキツイ」

ということ。

真っ白い皿に、ぽんっと焼き鮭を置いたとして、

淋しいことこの上ない。

ずぼらな私には、多少は柄がある皿の方が、

とても助かるのである。

 

結局、結論は出ず、

「皿のジレンマ」は保留とした。

 

次に頭を悩ませたのが、

「洋服のジレンマ」である。

 

最初は、どう見ても若すぎて、

もう着ない洋服を捨てた。

バーゲンセールで買った、

あまり思い入れのない、あまり着なかった洋服も捨てた。

生地がくたびれたスーツも、

やたら数のあるブラウスも、

もう要らないと思い切った。

 

迷った時は実際に来てみて、

鏡の前に立った。

するともう出番がないことが分かる。

今の、自分には到底着こなせない。

ということは、今より若返ることはないのだから、

と決心がついた。

 

プラ衣装ケース1つに収まるだけにして、

のこりのほとんどを捨てた。

そして、代わりに、

今の自分が必要としている、

家事育児に向いている、

機能重視の洋服をいくつかそろえた。

そうして日常に使う最低限の洋服を用意して、

洋服の断捨離を終えた。

 

「洋服のジレンマ」はここから始まった。

 

最低限の枚数の、比較的手ごろな値段の日常着を

そろえた私は、快適に過ごしていた。

2組、3組の同じような洋服を、

ぐるぐるローテーションしていく毎日。

洋服のコーディネートに悩むこともなく、

しかし以前よりぐっとまとまりのある着こなしに、

我ながら良い習慣を身に着けた、と思っていた。

着る洋服を悩まなくていいことが、

こんなに快適だとは、思っても見なかった。

 

ところが、転機が訪れた。

洋服の枚数が少ないから、

ヘビーローテーションになってしまい、

買い替えの必要が出てきたのだ。

そこでさっさと古いのを捨てて、

新しいのを買えばいいのだが、

迷いが生じた。

 

「このコート。

少し色あせはしたが、

まだ着られるのに、捨てるのだろうか?」

 

迷いながら、そのまま着続けた。

やはり、まだ、もったいない。

そうして着続けて、着続けて、

ついにくたびれ果てて来た。

 

いよいよ駄目かと思ったが、

同じようなコートを探すが見つからない。

一年探して見つからず、

二年目にしてようやく、

似たようなものを購入した。

その間、ボタンをひっかける紐がとれたので、

縫い直した。

壊れたファスナーはあきらめて、

ボタンで前を閉じることにした。

新しいものを購入して後も、

なんとなく愛着がわいて、捨てずにとっておくことにした。

「畑仕事に着ていこう」

断捨離では推奨されない、

「ものを増やす」になってしまった。

 

断捨離をして、ミニマリストのような「素敵生活」

を目指してみるも、

どうも私にはそれは合わないのだと気付いた。

 

少ないものでヘビロテして、

くたびれ感が出てきたら、

新しいものを買って交替、

というのが、どうも苦手なようなのである。

 

だからと言って、断捨離はやめたわけではなく、

自分なりのやり方をしていこうと決めたのである。

つまり、こうだ。

 

「不要なものは捨てる。

ただし、素敵生活は目指さない。

なぜなら、素敵生活のためには、

どんどん買い替えが必要だから。

それが苦手な私には、向いていないのだ。

 

不揃いの皿が並んでも、良しとする。

毛玉のセーターも、良しとする。

 

使って、使って、使い倒して、

これを捨てても後悔ゼロ!

むしろ捨てる時にそう快感すらある!

という気持ちで捨てる。

それが私の断捨離だ」

とまあ、こんな感じである。

 

以前、赤ちゃん用品を捨てたことがある。

ずっと捨てられなかったのに、

長女が10歳の時、たまたま思い出ボックスを開いて、

捨てる決意をした。

黄ばんだよだれかけを見つけ、

同じく黄ばみまくった新生児服を見つけ、

いっさいの迷いが吹き飛んだ。

経年劣化がすごすぎる。

後生大事にもっておく意味はないと判断した。

 

そして、その時、悟ったのである。

「モノには捨て時がある」と。

 

だから無理に捨てなくてもいいと思う。

そのうちに、機が熟して、

たいした踏ん切りもなく、すんなりと、

捨てられる時があると思うのだ。

 

もちろん、物が多すぎて困っているなら、

一気に減らしていいだろう。

けれど迷うなら、一旦どこかにまとめて、

機が熟すのを待ってもいいと思う。

後からの後悔をしないためにも、

そうした方法があることを知っていて

損はないように思う。

 

結論。

私の「断捨離のジレンマ」の解決法。

 

「素敵でない生活」もまた、

私の大切な毎日なのだと気付くこと。

そんな感じである。